座間 日蓮人処刑を免れた刀とゆかりの「圓教寺」

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 1275年 刀工鈴木弥太郎貞勝が日蓮に帰依し、自邸を寺に改め、日範を開山、自身を開基として円教寺を建立しました。
 1271年、日蓮が龍ノ口刑場(藤沢市片瀬の龍口寺)で斬首の刀が折れ処刑を免れたという龍ノ口法難後、依知(現在の厚木市)の本間重連の館に向かう日蓮を、折れた刀の刀工鈴木弥太郎貞勝が自邸に招き日蓮に帰依して円教坊と名を改めました。
 日蓮上人が龍のロの難を逃れ佐渡国に流刑になるとき、座間の対岸の依智(知)郷(厚木市)にあった佐渡国の領主本間六郎左衛門重連の館へ預かりとなりました。このとき警護の役人として龍のロから依智まで付き添って行ったのが鈴木家先祖の弥太郎貞勝でした。
 貞勝は昨夜の出来事に大変に感服し、依智に向かう道中で、日蓮上人に是非途中で座間の私の家へ立ち寄ってご休息をされるよう請い願いました。熱心な貞勝の勧めに日蓮上はお立ち寄りになり、心のこもったもてなしを受けました。
 日蓮は貞勝の志を深くお感じになり、円教坊の法号と本尊を授与いたしました。