1389年3月、足利三代将軍義満は厳島参詣の帰途、船を天寧沖にとどめ舟橋をかけさせて上陸し、この寺に一泊して備後の守護山名氏の饗応を受けた。1688~1703年に、三原の宗光寺の一雲椿道によって再興され、そのとき改宗して曹洞宗になったが、1682年雷火のため全山消亡、わずかに後山の海雲塔を残すのみであった。
本堂前の羅漢堂には、江戸中期から明治期にかけて檀信徒から寄進された五百羅漢像があり、本堂西側には古の山門の礎石という巨石を残している。
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1389年3月、足利三代将軍義満は厳島参詣の帰途、船を天寧沖にとどめ舟橋をかけさせて上陸し、この寺に一泊して備後の守護山名氏の饗応を受けた。1688~1703年に、三原の宗光寺の一雲椿道によって再興され、そのとき改宗して曹洞宗になったが、1682年雷火のため全山消亡、わずかに後山の海雲塔を残すのみであった。
本堂前の羅漢堂には、江戸中期から明治期にかけて檀信徒から寄進された五百羅漢像があり、本堂西側には古の山門の礎石という巨石を残している。