北条時宗は公安9年(1284)に死去したのだが、その菩提はこの円覚寺の仏日庵に葬られた。
その後北条貞時の時代になり、円覚寺は朝廷から太政官符を与えられ、官寺の寺格を得ることになる。貞時の死に際しては法堂が完成し、法要が営まれた。建武・暦応年間(1333~1342)に描かれた「円覚寺境内絵図」には、総門から山門、仏殿などが中国の宋にならって一直線に並び、その隆盛を今に伝えている。(「鎌倉なるほど事典」楠本勝治著より)
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北条時宗は公安9年(1284)に死去したのだが、その菩提はこの円覚寺の仏日庵に葬られた。
その後北条貞時の時代になり、円覚寺は朝廷から太政官符を与えられ、官寺の寺格を得ることになる。貞時の死に際しては法堂が完成し、法要が営まれた。建武・暦応年間(1333~1342)に描かれた「円覚寺境内絵図」には、総門から山門、仏殿などが中国の宋にならって一直線に並び、その隆盛を今に伝えている。(「鎌倉なるほど事典」楠本勝治著より)