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料識亭(ころんぶすのたまご)
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「知識の組み合わせ遊び」へ と 「風土の探検」へ
2026年1月9日(金)
座間 崖下に湧く清水悪疫を止めた「座間神社」

 「相模の飯綱さま」と親しまれている当神社の創祀は神代と云われています。

一つは欽明天皇の御代(539~571)に、坐摩郷(座間の古名)に悪疫が流行した折に飯綱権現の化身である白衣の老人が現われ、崖下の森の中に湧く清水を使うようにすすめたので、村人がそのすすめに従ったところ、悪疫はやみました。そこで飯綱権現を祀ったという。

 飯綱権現は、江戸時代には防火の神として信仰されていて(本来は伊勢の豊受大神と同じ食物の神様)、長野県の飯綱権現社が本社でした。

 座間神社と改めたのは、明治九年で日本武尊が野火で攻撃された時、剱で草を刈って防いで勝ったという神話にもとづき、後世防火の神様ともされていたので、明治時代になって村社とされるとき、同じくご利益のある日本武尊に祭神が改められました。
知識の組み合わせ遊び・風土の探検 履歴

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 参考にした書籍・場所
 
 約八百年前の源頼朝が鎌倉へ幕府を開いたころ、悪疫が流行したした時に白衣の老人が来て、日本武尊を祀れば悪疫が治まると教えたので、日本武尊を祀ったといいますが、その時代は1313年で、祭神は飯綱権現だという説もあります。
 1313年、社殿を再建、この頃より武家の参詣が相次ぎ、1602年には領主内藤修理亮清成が一統を率いて参拝し、武運長久、氏子の繁栄を祈られたという記録もあります。また、古くからこの地は、八王子街道の宿場街として栄え、ここを往来する人々、また生糸を運ぶ車両の安全を祈念した人々で社頭が賑わいをみせたとも伝えられています。
 欽明天皇の時代は、国中が天候不順で五穀が実らず人々が困窮していました。欽明天皇がト部伊吉若日子に天災の原因を占わせると、賀茂の神々の祟りだと分かり、そこで賀茂県主家が四月吉日を選んで馬に鈴をかけ、人は猪頭をつけて駆競をすると天候は回復して五穀は実り、人々も平穏を取り戻したといいいます。