お地蔵さん
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料識亭(ころんぶすのたまご)
 頭の“トレーニング”に、いろいろな方々の“知識”を組み合わせて遊んでみてはいかがですか
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学校歴だけで昇進できる世の中は終わった!
2024年
3月25日
(月)
 小学校の時、家庭科の時間で教科書に「新鮮な魚の見分け方」で、「魚の目を見る」とか、「エラを見る」とかなどと書いてありました。

 でも、その当時住んでいた街では、魚に触って「動くか」、タコやイカは「吸盤が吸い付くか」どうかが、新鮮さを判断する基準でした。

 それまでは、教科書は正しいものと思っていましたが、疑問が湧きました。

 また高校の時、テストでの五段階評価が、統計的な手法に変わりました。

 しかし、一人の先生は、「103点」とか「105点」をつける先生がいました。

 しかもその教科の平均点は40点代でした。

 その経験は(数十年前ですが)、情報は「いろいろな面から考えなければ……」が必要だと思うようになりました!


自分の人生は幸せなものだった?
2024年
3月17日
(日)
 子供の成長には、「期待」が大きく影響するという。

 ただし、過剰な期待は厳禁。

 状況を、ありのまま、正確に把握し、その状況に応じた期待をすることが大事ですね。

 入試が終わった今、改めて、冷静に考えてみましょう。

 大人になっても、「ちょうど良い期待」がどんなものか、冷静に考えなくてはならないですね!


劣等感は心が勝手につくり出した妄想!
2024年
2月6日
(火)
 迷いの多くは、体験を伴わない知識から生まれてくるのでは、と思うことがあります。

 子供時代に自然の中で遊び、その後、学校で学び始めると、いつの間にか、まず現実を正しく把握する習慣が出来てくるようです。

 すると、まず状況を把握し、どう行動するか、考えます。すると、悩む数が減ってきます。

 もちろん、それ以外の抽象的な悩みもあります。

 しかし、少しは悩みが減ってくるようです!


叱った後は、叱り終わった合図を!
2023年
5月28日
(日)
 「叱る」とき、「叱り終わり」を考えてから叱っていますか?

 叱る目的は、叱る相手に何かしらの改善を要求し、そして、結果を出してほしいから叱っています。

 叱った結果は、どの程度改善が実現していますか?

 よく見かけるのは、叱る側のストレス解消のため叱っている、と感じてしまうことがあります。

 これでは、叱られた側もストレスが残り、双方とも何のメリットも生まれてきません。

 何かしらの改善が生まれる叱り方を、充分考えてから、叱りたいですね!


「ゆとり」を楽しむ時代に!
2023年
5月20日
(土)
 対話型AIは、知識中心の教育を変える力があるのでしょうか。

 現段階で使ってみると、質問が具体的で、回答を匂わすものであれば、回答も正しいようですが。質問が曖昧だと、変な回答が返ってくることがあります。

 それもまことしやかな回答で返ってきます。

 ということは、質問をする前に、具体的な質問が出来る程度の知識は必要なようです。

 特に日本語は、同じ単語であっても、使い方が多用なので、質問するときは、どの単語を使って質問をするかも、関係してくるのかも知れません。

 やはり、「知識」と「感覚」をもとに、「考える力」を身につけることが、基本なのでしょうね!


「人間の教育」は自然界の摂理に学ぶ!
2023年
4月28日
(金)
 子供達の多くは、自然の中で学ぶことが少なくなっています。

 自然の中での危険を体感することが少なくなっています。

 言葉や文字から学ぶことが多く、五感で感知し、自分で考える、ということが少ないからでしょうか。

 学童保育は、子どもの自由があるようですが、大人が見守っています。

 そのためか、どの程度までは安全か(危険か)は、大人の指導が入ります。

 安全は確保できますが、失敗の経験は少なくなります。

 五感の情報から考え、判断する、という力が弱くなっているようです。

 最近の犯罪を見ていると、本当に自分で充分考えて、行動の選択を行っているのか疑問を感じます。

 これは、人類の生き残りという視点が、不足しているのでは?

 SDGsは人類の生き残りを考えた活動だと思うのですが!


教育は学校だけでやるもの?
2022年
8月23日
(火)
 教育は学校教育だけでは、片寄ってしまいます。

 そのためか一方的な考え方になり、いじめや異常な犯罪が起きている一因になっているのでしょうか?

 むかし、小学校の家庭科で「新鮮な魚の見分け方」を教わりました。

 私の体験と大きく異なっていました。私の体験では、「魚にさわって動くかどうか」、「タコやイカは吸盤が吸い付くかどうか」でした。

 知識というものは、「ある場面での正解」です。

 そのためには、現状を洩れなく観察した上で、どの知識を適用したら良いのか、あるいは、もっと調べなければ、ということになるのでしょう。

 固定観念を植えつけてしまう教育は、ほんとうの教育なのでしょうか?


学校の宿題が気になって!
2022年
8月13日
(土)
 夏休みの宿題は大変でしたね。

 いつも夏休み終わりの1週間くらい前から、残っていた半分くらいの宿題に取り組んでいました。

 全部は出来ませんでしたが、何も言われませんでした。

 長井休みには、やはり自分の好きなことをやっていたいですね。

 出来れば、広い意味で自然と関係するものを。

 好奇心を持つということは、現状をキチンと観察する力がつきます。

 その力は、生きていくためには、とても大切な能力だと思いますよ!


どうして人間は戦争を起こすんだ!
2022年
7月8日
(金)
 「どうして人間は戦争を起こすんだろうね?」、それも圧倒的に男性が。

 今日も安倍元首相が銃撃され亡くなりました。

 犯人は男性。最近の不可解な犯罪も、犯人の多くは男性ですね。どうしてなのでしょうね?

 男性は考え方に幅がなく、1つの方向になりやすいようです。特に100点主義の教育で、いつも答えは一つしかないと思い込んでしまう傾向にあります。

 でも、答えというものは一つではありません。

 私は、小学校の家庭科で「新鮮な魚の見分け方」を習ったとき、「魚の目やエラを見て見分ける」と習いましたが、住んでいたところでは「魚に触って動くかどうか、タコやイカは吸盤に触って吸い付くかどうか」で新鮮かどうか見分けていました。どうして教科書にヘンなことが書いてあるのだろう? と思いました。

 答えというものに、「曖昧」を許容していれば、社会人になっても、一つの考え方に固執することが少なくなるのではないでしょうか!


「だれが下手だと言いました?」
2022年
6月30日
(木)
 「自分は○○だ」と思い込んでいませんか?

 その多くは、自分だけの思い込みで、なおかつ、自分の一人で思っていることが多いようです。

 むかしと違って、「多様さが求められない」、あるいは、「1つのだけ答え」を求めるようになっているようです。

 もっと、多様性を受け入れ、曖昧さを認める社会になれば、精神的にはもっと楽に暮らせるのに、と思ってしまいます。

 日本は、むかしから、神も仏も両立してきた社会です。答えというものは、1つではありませんでしたね!


日本の大学進学率は43位!
2022年
6月8日
(水)
 今までの入試問題の多くは、記憶能力の試験が中心でした。

 世の中の変化が少ないときは、それで良いのかも知らないのですが、変化が激しい時代は、過去の知識をベースにした考え方では、変化に対応しきれません。

 現状をしっかり把握した上で、いろいろな知識・情報を各種組み合わせ、その時代の社会に適したアイデアを見つけ出さなければなりません。

 単に教科書を記憶することだけでなく、多彩な知識・情報を組み合わせる思考方法を身につける必要があるのでしょう。

 それができる学生には、100点を満点にせず、103点・105点をつけても良いのでしょう。

 私の経験では、半世紀前には、一人だけですが、そんな先生もおられました!


人を助けるのが大好きな人がたくさんいます!
2021年
11月22日
(月)
 「自由に考える」という習慣を、いつのまにか失っているのでは、と感じています。

 小学校から「テストで答えは一つ」という習慣がつき、マスコミでは専門家の解説がほとんどになり、専門家達は答えは一つ、と考えがちです。そんな情報ばかりが周りに溢れていると、自分が自由に考えたと想っても、他人の考えに支配されているのでしょう。

 日本以外では、「答えは一つ」しか正解がないのですが、日本では「あれも正しい」、「これも正しい」ということが許されています。一人の人が、お寺に行くのも良い、神社に行くのもいい、「曖昧」が許されているのです。

 だからこそ、いろいろな知識を自由に集め、その情報を組み合わせ、昨日考えていたことと、今日考えることは、違っても良いという自由があります。

 Aさんとは“こう”、Bさんとは“そう”と、それぞれの場面に応じて良い方法が選ぶことがある程度は許されています。

 ただし、その自由な対応の背後には、多くの知識があればあるほど、的確な対応になるのでしょう。いくつになっても、自分の得意分野以外の勉強も大事なのでしょうね!


言葉の発達こそ感受性世界の入り口!
2021年
11月14日
(日)
 むかしは「環境に適応する能力」が、最も重要な能力だったのでしょう。しかし、現在は言語による知識になっています。それも記憶力が重視されていました。

 最近は、言語による知識には変わりありませんが、ネット検索やデータベースによる知識になってきました。

 その結果、情報を組み合わせながら、より深い知識、固定観念を打ち破る知識などにシフトしつつあるようです。

 しかし、情報を組み合わせ活用するために必要とされる能力は、言葉と同時に、環境に適応するために養った経験なのでしょう。子供時代に多くの大人と接した体験、自然の中で遊んだ経験などが大切になるのでしょう。

 ところで日本語は抽象的な能力を身につけることに適しているのでしょう。似たような言葉がたくさんあり、また、同じ言葉でも、意味が異なっていたり、また、例えば「ニオイ」でデータベースを検索すると、「……において……」などが出てきて、もとの「臭い」とはまったく違った発想にたどり着いたりします!


学校に無理難題を押し付ける!
2021年
8月26日
(木)
 モンスター・ペアレントという言葉が言われ出してかなり立ちました。このような人が多くなった原因はなんだったのでしょうか?

 ヤクザや暴力団だったのでしょうか。しかし、ヤクザや暴力団はむかしからいましたから違うのでしょう。

 そうするとテレビなどに出てくるコメンテーターなのでしょうか。どうもそんな気がしています。

 事実や論理の中から、自分の主張に当てはまるものだけを取りだして、あたかもそれがすべてのように主張します。視聴率を上げるためにはやむをえないのでしょう。

 しかし、それを見習う人達が増え、他の意見は聞かず、自分の都合に合う事実・論理だけを主張する人が増えてきたのでしょう。

 欧米人は自己主張をする人が多いと聞きますが、日本人もそうなってきたようです。

 もっと「曖昧さ」を大事にしてもよいのでは、とも思います!


自分の言動を他の人の視点でとらえる!
2021年
7月23日

(金)
 一般的には、「学校の成績が良い=記憶力が良い」と考えているのでしょう。

 そのため、一流大学を出ても、若いうちは大学のブランドがある程度通用するのですが、年齢を重ねるにつれて通用しなくなります。

 特に言動が良くない場合、大学のブランドが高いほど、教養(広い文化的な知識によって養われた品位)のレベルを低く見られてしまいます。

 これからは、新コロナの影響、そしてAIの進歩で、社会で必要とされる能力が変化するため、知識の記憶だけでは成り立ちません。

 現状をよく観察し、多彩な情報を組み合わせ、何かしらの智慧を見つけなければならなくなってきたようです!


子どもに勉強させようとするなら!
2021年
7月15日

(木)
 勉強とは「ある目的のための修業や経験をすること」、学ぶとは「経験を通して知識や知恵を得ること」、という意味もある。

 「経験・体験」に知識が結びついて、初めて本当の知識になるのでしょう。

 これはテストでは評価できないですね。

 そのためか、「経験・体験」というものが軽んじられてきたのでしょう。

 子供達が、「自分が見たもの」、「自分が体験したこと」、これをどんどん増やしていくことが、大人の役割なのでしょう。

 むかしは、都会でも大家族が多かったので、子供は多くの大人達からいろいろな体験のチャンスを得ていたのでしょう。

 核家族は、子供の本当の意味の勉強のチャンスを少なくしているのでしょうか!


自己投資は年収の1割以内ならOK!
2021年
5月24日

(月)
 出身大学や資格に頼る時代は終わりつつあるようです。AIの進歩は、予測できないほど早く、知識をベースにした資格は、不要になってしまう可能性が強くなってきています。

 AI中心の時代になった時、どの言語が専門分野において有効か、という現象も起きてくるのでしょう。単純な言語はAI化は行いやすいのでしょうが、機能的にはどうなのでしょうか。

 自分で、本をもとに8万件以上の日本語のデータベースをもとに、単語検索をしながら、いろいろな知識を組み合わせ遊んでいる私からみると、日本語はAIには難しい部分が多い面があるようです。また、地域・時代によって意味の解釈が少し異なるため、より難しいのでしょう。

 ただ、この面が、より面白く、意味深いものができる可能性を秘めていると思われます。


女性の学びは男性と異なった特性を持つ!
2021年
3月31日

(水)
 「学び」は長続きさせたいもの。できれば一生学び続けたいものです。

 人間、前頭葉が未発達、または老化すると、自分の制御が難しくなってしまいます。

 新コロナの伝染防止対策がうまくいかない若者、カラオケで歌いまくる高齢者、ともに前頭葉の働きがうまく機能していないのでしょうか?

 元気であり続けるには、からだを動かし、足から、あるいは、手から、そして皮膚からの情報で、からだのあちこちを刺激することが大事なのですが、「学び」で前頭葉の刺激を続けることも大事です!


社会に出てからは学びの質を変えること!
2021年
3月19日

(金)
 定年退職後は、特に学びの質を変えなければなりません。組織の中で身についた思考を続けていると、いわゆる“老害”という状態になりかねません。

 定年後、年月がたつにつれ、ひどくなっていきかねません。

 過去に蓄積した“思い込み”を捨てるためには、まずは学ぶこと、それも、「学びの質を変える」ことが必要です。

 たた注意しなければならないことは、定年になってからでは少し遅いようです。

 少なくとも、定年の五年前から、できれば十年前から学びの質を変える準備が必要だと思います!


「考えること」を教えることはできません!
2020年
11月23日

(月)
 知識を習得することに重点を置きすぎていませんか。

 「考える」ということの、習得範囲が狭くなっているようです。

 能力主義が主流になったため、それも、お金につながる能力が評価されるため、考える視野が非常に狭くなってしまっています。

 「こもり人」が増えていることも、この考える視野の狭さが影響しているのでしょうか。

 欧米社会のように「お金を稼ぐ能力主義」になっていることは、日本では戦国時代と同じ時代のようになっているのでしょうか。

 江戸時代の智慧をもう一度勉強しなおす必要があるのでしょうか!


生きる力や意欲は家庭教育で!
2020年
10月26日

(月)
 学校での子供の評価が、テストの点数中心主義になって、三世代ほど経過してきました。

 その結果、正しいことは一つという、点数主義が社会に定着してしまいました。

 ホモサピエンスが生き延びていくためには多様性が必要です。

 正しいことは一つ、という点数を重視する教育がどの程度役立っているのか、充分な検証はされていません。

 ただ、社会環境や自然環境の変化に対応していくのは、偶然の結果とすれば、それほど考える必要はないのかも知れませんね!


“傷つくのを感じない”ようになると!
2020年
7月4日

(土)
 いつからでしょうか?「完璧」を求めるようになってきました。

 テストで100点至上主義のためでしょうか。
 スペシャリスト指向のためでしょうか。

 みんな気がついているのでしょうが、テストの100点の回答は、必ずしも自分生きている間において、正解であり続けるとは限りません。

 スペシャリストもそうです。
 その仕事を辞めた途端、いかにもの知らずで視野が狭かったと気づきます。

 もっと、「出来損ない」を大事にしたいですね!

教養は、鍋料理である!
2020年
5月1日

(金)
 知識、それも得意分野の知識を求めることが優位な現代。

 人同士のつながりに「希薄」を求めた現代。その結果からか、現実をありのままに見る目が弱くなっているようです。

 外部から入手できる言葉による情報を求め、その情報をもとに判断する人が多くなっています。

 自分の目で現状を捉え、その五感を通じた情報をもとに判断する力が衰えてきたようです。

 これは、情報を発信する側もそうですね。例えば、今回の新コロナウイルスについて「密接を避けましょう」と言ってきました。

 「密接」=すき間もなく,ぴったりとくっついていること、です。この言葉で予防対策と伝えられると、「10~30cmも離れていればいいだろう」と思った人もいるのではないでしょうか。

 「伝達の場」であるマスコミも、プロとしての英知を失ってきたのでしょうか?

絵日記をつけていると!
2019年
8月4日

(日)
 今の子供の多くは、人類の歴史上、外で遊ぶことが最も少なくなっているようです。

 これは、「人類が生き残ってきたノウハウはもういらない」という判断を、行った上で選択した結果なのでしょうか?

 子供時代に、五感を通じた情報処理の基礎を訓練し、右脳と左脳のバランスをうまく調整し、環境に適応できたから、数十万年の歴史をつくってこられたのでしょう。

 恐竜の歴史には及ばないのですが!

ひとつの価値観だけで??
2019年
7月29日

(月)
 ものの見方に、多彩さが欠けてくるのはなぜでしょうか?
 日本では、学校教育で、一つの答えを要求され続け、社会に出てからもその延長で、多数の思惑に合わせたほうが、生きやすののでしょう。

 一つの変わった視点で歴史を見る例として、米(あるいは麦)の立場で、イネの勢力拡大のため“人間を使おう”、その戦略として「米を作る人達が1年間消費する量の、倍を収穫できる」という戦力をイネが取り入れた。

 すると、収穫の半分を他の人達が利用できるようになった。

 その分け前を得ようとして、「イネが作れる土地を開発し貸し付ける」、「高価な青銅製の農機具を貸付る」、「他の場所に運搬し報酬を受ける」、「盗難から守る」等々の、人類の争いの歴史が始まり、イネや麦は、その勢力をどんどん拡大していった、という視点もあるのでは?

理論優先、競争原理の導入の弊害!
2019年
7月17日

(水)
 「勝ち負け」をベースにして「逃げてはいけない」という思いに縛られていると、事故や災害といった突発的な出来事に見舞われたとき、「危険を避ける」という行動ができなくなっていきます。

 危険な状況に瀕したたときに、本能は、それを察知して逃げるようにと警報を鳴らします。

 ところが一方では「逃げてはいけない」という指令を発して、その警報にブレーキをかけます。

 あなたは相反する情報に立ち往生し、身に迫る危険に対しても、自分を守ることができなくなっていくのです。

 避難を現場で支援する立場の人は、ものすごく大変です。

夢をなくしたときが「老人」だと!
2019年
4月28日

(日)
 人生100年時代、心持ちが年齢を決めるようです。

 思い込みが強いお年寄りが多いようですが、これは“こころの老化”のようです。

 テスト教育の普及で、幼いときから「テストの答えのみが正解」(正解を選ぶしろ、あえて不正解を選ぶにせよ)を続けていると、どんどんあたまが固くなってしまい、あたまの老化が進行します。

 そして、早い年齢から周りからのアドバイスを、受け入れることができなくなってしまうのでしょうか。

 クレーマーもそのひとつの現象なのでしょう!

大人は「勉強」という二文字にとても弱い!
2019年
2月19日

(火)
 大人は、なぜ「勉強」を重要視するのでしょうか?

 いままでに学校で学んで知識の何%を利用していますか?

 基礎になる知識だから、それほどその知識は利用されなくても良い、のでしょうか?

 テレビでよく見かける「さかなくん」、どれほど学校での知識を利用しているのでしょうか?

 ネット検索が普及し、調べる方法が身につく程度の勉強ができれば、後は、見つかった情報を組合せ、何らかの「気づきを得る」方法を、練習したほうが良いのではないでしょうか!

先入観にとらえられてしまうと!
2018年
10月8日

(月)
 学校で使う教科書は体系的に出来ています。ということは、はみ出した考え方の学習はできません。思考をパターン化するために学校に行くのです。

 一方、データベースを利用した検索は、単語で検索するため、予想外(体系的な思考から考えると)な情報に出会います。

 ネット検索でも同じような環境なのですが、ある意図を持った検索エンジンが使われているため、予想された情報が上位にきます。思考の多様化には物足りなくなります!

猛暑の夜はどうするか?
2018年
7月26日

(木)
 「自分で」判断する、ということが難しくなってきているのでしょうか。

 「知識優先」、そして「専門」を目指すことが一般的になってくると、体験が軽んじられてきます。

 人類の歴史の99%以上の期間は、体験で学んできました。

 「言葉」が生まれ、「文字」が生まれ、紙が生まれ、教育が定着した結果、「体験」することが軽んじられるようになってきました。

 体験して、その後に教育を受けると、智慧につながっていきます。

 日本の職人の伝統だった「技術は見て盗む」は、本来の姿に近いものがあったのでしょう!

基礎学力は「読み書き計算」!
2018年
7月24日

(火)
 想定外の災害が日常化する時代に入り、「点数には表れない学力」が大事な時代になったようです。

 「点数に表れる学力」は”今までの事実”であり、想定外の事態には対応できません。

 これからは、「今までの事実+今までの体験+今現在の情報⇨想像する力=これから想定される事態」を考えることができる力が必要ですね!

自分の体験から生まれたもの!
2017年
11月14日

(火)
 心から感動する時間や機会を大事にしたい。

 そのためには、やはり何でも自らのフットワークで現場に立ち会うことが一番。

 仕事でも机の上の報告書やデータ、会議ばかりに頼っていては仕事のプロセスの感動をつかみとることは出来ません。

 最前線の現場へまず行ってみる。

 どんなに立派な理論を聞くよりも、体験から出た意見を大事にします。

 体験すること、現場に立ち会うこと…この時間を惜しまないようにと、いつも自分を叱咤して過ごしたいものです!

積極的な体験は求めるものに出会う!
2017年
11月5日

(日)
 小さな時から自然の中で、何でもよいから積極的に「体験」をすることが大切。

 その体験があれば、知識が後から入ってきたとき、「そうなのか」、あるいは「なんで?」と、考えるようになります。

 60年くらい前ですが、小学校時代に、家庭科で「魚の新鮮な見分け方」は「目やエラを見て……」と教わりました。

 しかし、私の育ったところでは、「魚を指で触って動くか」、「タコやイカの足に触って指に吸いつくか」という体験をしており、教科書が「何んでこんなことを教えているのか」分かりませんでした。

 知識と体験を関連付け、何が、どんなとき、正しいのか、ということを考える課程が大事だと思います!

「学校が悪い」がだいたいの論調!
2017年
8月17日

(木)
 『家族」というしくみが崩壊した結果、以前は「家族」が責任を負っていたことが、他に責任を移転することになったんでしょう。

 それを正しいことと、定着させていったのは裁判なのでしょうか。

 家族が負うべき責任については、法律がありません。

 その結果、家族以外の関係者が、損害賠償をする判決を繰り返してきました。

 その結果の一つが「学校が悪い」ということになったのでしょう!

悩みや不安があれば兆候が!
2017年
2月7日

(火)
 いつの頃からでしょうか、生徒に問題が起きると、親の責任より、先生の責任が重くなったのは……。

 最近では、社員が犯罪を犯すと、あたかも、所属する企業の責任が問われるような雰囲気があります。

 東京の文化が浸透した地域では、“組織に属す”という意識が強く、「上下関係」とか「きづな」といった風土を重要としています。

 その結果、悪いことが起きると、組織外に責任を転嫁する、という発想になるようです。

 強い組織ができるのでしょうが、息苦しくなってくるのでしょうね。

 “強いきづな”は、自殺の原因の背景に潜んでいるようです。

 “きづな”は東北の震災復興の遅れの原因になっていなければよいのですが!

口の使い方は、人生を嫌になる要因の一つ!
2016年
9月2日

(金)
 話すとき「サジ加減」が大事です。しかし、このサジ加減をどのようにして学んでいるのでしょうか。

 私の経験からすると、子供の時のケンカのとき、殴られた“痛み”から学んだような気がします。

 小さな時は「加減」など分からず、思いっきり殴っていたのでしょう(それでも小さいので力が弱かったと思いますが)。

 大きくなるにしたがって、力一杯なぐると危険なことがわかってきて、力を加減するようになった、と思います。

 いまの教育(親も学校も)は暴力禁止ですから、こんな経験はあまりないのでしょう。

 そのためか、「サジ加減」ができない親や青少年が増えているようですね。理解できない悲惨な事件が多くなっています!

知的思考が深まらない日本の教育制度!
2016年
8月19日

(金)
 「知識」と「思考力(考力)」は反比例する、という。知識が増えれば、思考力がなくなっていく、ということ。

 ???という事件が起こっているのは、思考力の低下が原因と言っていいのでしょう。

 現在の技術環境では、「知識は覚える必要がない」、「インターネットで探せばよい」ものです。

 探し出した情報を、自分の経験で、取捨選択し、どのように組み合わせ、そして、何かを見つけ出す、ということが必要です。

 これが思考力(考力)です!

「知識・情報」の奴隷になっていませんか?
2016年
8月5日

(金)
 運動神経の成長は、小学校の低学年の頃までです。

 その後は筋肉の成長が基本になります。

 運動神経は、どの場面で、どの筋肉を、どの程度の力加減で、制御するかという能力です。

 知識も同じようなものでしょう。どの場面で、どの知識を、どの程度の加減で、活用するかという能力なのでしょう。

 「力加減」という言葉があるように、大人になれば、知識や情報の活用にも“加減”が必要なのでしょう!

健全な自尊心が人生の舵取りをする!
2016年
6月10日

(金)
 学校教育は、「心の教育」より「知識の教育」に重点を置くことを世間は求めています。

 では、いつ「心の教育」を行ったら良いのでしょうか?

 一案として「産前休暇」の取得を“両親に義務づけ”、その期間の多くを、子育てに関する教育をしてみてはいかがでしょうか。

 ふと、そんな思いつきが浮かんできました。

 子供の虐待が報道される中、子育て教育の大事さを、世間はもっと考えなくてはいけないのでしょう!

基礎学力とは「読み書き計算」!
2016年
4月15日

(金)
 基礎とは「物事がなりたっているおおもと」。

 基礎学力は、おおもとになる学力である「読み書き計算」を、大事にしていますか?

 基礎学力が身につかないうちに「ショートメッセージサービス(SMS)」など使用していると、思考力が簡素になり、熟成されなくなるのでしょう。

 昨今の犯罪を見ると、犯罪者の思考が簡略になり、犯罪に至ったような感じがするときがあります!