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「知識の組み合わせ遊び」へ と 「風土の探検」へ
2026年7月16日(木)
福山 鞆 見事な石造物が 「阿弥陀寺」
 現在の沼名前神社は、明治に渡守神社(わたすじんじゃ)・鞆祇園宮(ともぎおんぐう)を合祀し、『延喜式』神名帳の記載にならって「沼名前神社」と改称したものです。

 神社側では、渡守神社が『延喜式』神名帳所載の式内社で、同社が現在に至るとしています。

 現在の祭神二柱(大綿津見命・須佐之男命)は、それまでの各社の祭神です。


 今から千八百数十年前、第十四代仲哀天皇の二年、神功皇后が西国へ御下向の際、この浦に御寄泊になり、この地に社の無きことを知り、斎場を設け、この浦の海中より涌出た霊石を神璽として、綿津見命を祀り、海路の安全をお祈りになられたのが、当社の始まりです。

 さらに、神功皇后御還幸の折、再びこの浦にお寄りになり、綿津見神の大前に稜威の高鞆(いづのたかとも(弓を射る時に使った武具の一種)を納め、お礼をされたところから、この地が鞆と呼ばれるようになりました。
知識の組み合わせ遊び・風土の探検 履歴

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 随身門

 神社の外郭の門で,兵仗(ひょうじょう:実戦用の武器)を帯びた随身の像を左右に安置し、像は、俗に矢大神・左大神といいます。享保20(1735)年の建造物です。
 明治八年に官命によって社名が「沼名前神社」に改名され、同時にそれまで摂社として祀られていた渡守神社(わたすじんじゃ)の祭神、大渡津見命(おおわたつみのみこと)を本殿に鎮め、須佐之男命(すさのおのみこと)が本殿より遷り祀られました。






 社殿前に建てられている石燈籠は、江戸時代の慶安4年(1651年)に福山藩3代藩主の水野勝貞から寄進されたもの。総高3.24m。六角形の台座の上に、直径47.4cmの竿石、さらに中台・火袋・笠石・宝珠が置かれる大形なものである。