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料識亭(ころんぶすのたまご)
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「知識の組み合わせ遊び」へ と 「風土の探検」へ
2026年2月16日(月)
海老名 奈良・平安の昔、相模国を守護「有鹿神社」
 市内でも大型の一間社流造の建築です。

 内部は前後2室に分かれ、前室は正面扉口のほかに両側面にも一本引きの建具を入れることや、向拝の造りなど特徴がある珍しい造りです。また、肘木は鋭い錆を持つ絵様肘木で、社殿に独特の印象を与えています。

 建立年代は、虹梁の絵様等の意匠から18世紀中頃と考えられています。

 大住郡坪之内村の絵師近藤如水(藤原隆秀)が描いたものです。

 如水が諸国遍歴から坪之内村に帰ってきた後の嘉永2年(1849)頃の作と考えられています。

 豪快な筆法と精緻な構図で描かれており、見るものを圧倒する迫力があります。

 有鹿神社付近一帯が遺跡で、発掘調査で弥生時代から中世の遺物や遺構が確認されています。

 出土した平安時代の土師器圷に特殊な文字が墨書されていたことから祭祀が行われていたのではないかと考えられています。
(「自然と歴史のさんぽみち」(海老名市教育委員会発行)より転載)
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 参考にした書籍・場所
 
[有鹿姫]

 今から約五百年前、愛川の小沢というところに金子掃部助(かねこかもんのすけ)という武将がいました。金子掃部助は、関東管領山ノ内上杉家の家来、長尾景春が起こした戦に加わりましたが、武運つたなく破れ、小沢城を捨てて敗走しました。
 この掃部助と奥方の間には、美しい姫君がいました。姫は早くから有鹿の地、すなわち海老名の河原口に住んでいた郷士の青年と婚約中で河原口にある海老名館に来ていましたが、「小沢城危うし!」といううわさに、急いで小沢に戻りました。
 しかし、時すでに遅く父は戦死、母は行方知れずと聞き、すっかり生きる望みを失いました。覚悟を決めた姫は、見苦しい姿を人目にさらしたくないと、薄化粧をして、まだ燃えている小沢城を後に天に向かって手を合わせると、ざぶん!と相模川に身を投げたのでした。
 するとどうでしょう。美しかった姫の体は、たちまち恐ろしい大蛇に変わり、大きくうねりながら下流に向かって泳ぎ出しました。途中、六倉という所で大きく身震いすると、相模川の水が舞い上がり、中津の原に大きな水たまりができました。さらに水しぶきを上げながら進み、河原口に近ずくと、姫は再び人間の姿に戻り、息絶えて有鹿神社の裏の河原に打ち上げられました。
 神社の氏子らは、海老名の地に嫁ぐ日を夢みていた姫の死を悲しみ、せめてもにと「有鹿姫」の名を贈り、神社の片隅に、その亡きがらを葬りました。現在、有鹿神社と有鹿小学校の間には、河原口に近ずくと、姫は再び人間の姿に戻り、息絶えて有鹿神社の裏の河原に打ち上げられました。
 神社の氏子らは、海老名の地に嫁ぐ日を夢みていた姫の死を悲しみ、せめてもにと「有鹿姫」の名を贈り、神社の片隅に、その亡きがらを葬りました。現在、有鹿神社と有鹿小学校の間には、若くして散った有鹿姫をしのぶ碑が建てられています。
 (こどもえびなむかしばなし第4集より)