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お地蔵さん

料識亭(ころんぶすのたまご)
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「知識の組み合わせ遊び」へ と 「風土の探検」へ
2026年5月20日(水)
鎌倉 風もないのにゆれる松があった「小動神社」
 1333年(元弘3年)、新田義貞(にったよしさだ)が鎌倉攻めをして北条氏を滅ぼしたとき、神社に戦勝を祈願し、成就(じょうじゅ)の後に黄金(こがね)作りの太刀(たち)と黄金(おうごん)を寄進したので、それで社殿を再興したと伝えられます。

 その後もたびたび修理や再建が行われました。

 現在の社殿のうち本殿は、江戸時代の1817年(文化14年)に、腰越全町の人々が協力して建てたものですが、改修されています。

 また拝殿は、1929年(昭和4年)に建てられたもので、これも改修されています。

 1868年(明治元年)の神仏分離で小動神社と名を改めました。

 また、1909年(明治42年)は村内にあった諏訪社がここに移されたので、建御名方神(たてみなかたのかみ)もいっしょにまつっています。

(鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より)
知識の組み合わせ遊び・風土の探検 履歴

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その他 特 集

相武台公民館にて「台湾少年工と高座工廠」
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 参考にした書籍・場所
 
 神輿(みこし)

 神さまが神輿に乗ったら、神社に神さまがいなくなってしまうのでは?
 それは心配無用。神さまは分身可能です。

 神輿の起源は、奈良時代の749年だそうです。
 1333年(元弘三年)五月には、新田義貞が鎌倉攻めの戦勝を祈願し、のちに太刀一振と黄金を寄進して、社殿が新たに再興された。そのため新田義貞を中興の祖と称している。
 鎌倉が自然の要害の地形をしていたので、山側からの侵入はきわめて難しかった。新田義貞は稲村ガ崎から侵入し、鎌倉は陥落する。鎌倉側から見れば、「海側から攻められるわけがない」という油断があったのだろう。義貞は、地元の古老から潮の潮位を聞き、干潮を利用したのだった。