`

お地蔵さん

料識亭(ころんぶすのたまご)
ホームページの構成説明へ
ブログへ
お地蔵さん
つながり 一覧図表
ビジネス 一覧図表
安  全 一覧図表
科  学 一覧図表
感  謝 一覧図表
教育勉強 一覧図表
健  康 一覧図表
雑談会話 一覧図表
子 育 て 一覧図表
自  然 一覧図表
社  会 一覧図表
取り組み 一覧図表
習  慣 一覧図表
商  品 一覧図表
笑顔笑い 一覧図表
情報知識 一覧図表
色  彩 一覧図表
食 べ 物 一覧図表
心 構 え 一覧図表
世  間 一覧図表
政  治 一覧図表
組  織 一覧図表
文  化 一覧図表
コミュニケーション 一覧図表
「知識の組み合わせ遊び」へ と 「風土の探検」へ
2026年4月29日(水)
鎌倉 瘡守稲荷と鬼子母神が祀られる「上行寺」
 山門の裏側には左甚五郎(ひだりじんごろう)作と伝わる竜の彫り物があり、山門の正面に本堂があります。

 江戸時代後期の熊本の大名細川家(ほそかわけ)が造ったといわれる本堂の軒の表欄間(おもてらんま)や前の柱との梁(はり)などに、すばらしい竜の彫り物があります。

 上行寺は、日範(にちはん)が1313年(正和2年)に創建したといわれる日蓮宗(にちれんしゅう)の寺で、山号は法久山(ほうきゅうざん)といいます。

 現在の本堂は1886年(明治19年)に、名越松葉ヶ谷(なごえまつばがやつ)の妙法寺(みょうほうじ)の法華堂(ほっけどう)を移築したものといわれています。

 本堂の中は公開されていませんが、その格天井(ごうてんじょう)には美しい花鳥の絵が、表の欄間には十二支の彫刻がほどこされています。

 本尊は三宝本尊(さんぽうほんぞう)(祖師(そし))で、本堂内正面には日蓮上人像(にちれんしょうにんぞう)、左手に開山の日範上人像や鬼子母神像(きしぼじんぞう)、亀に乗った水天像などが安置されています。

 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
知識の組み合わせ遊び・風土の探検 履歴

“痩せ信仰”が、日本人のなかに根付いている?
尾道 のんびりとした境内「宝土寺」
大半の腰痛は骨の異常ではなく「固くなった筋肉」!
相模原 西部 北条氏照の娘貞心尼を中興開基の「天應院」
植物性のアブラより、動物性のアブラのほうがからだに悪い……
鎌倉 頼朝に心情を訴える腰越状を書いた寺「満福寺」
ほんとうに未来を考える姿勢!
尾道 山門は「ええもん」と呼ばれる「福善寺」
年齢を重ねることを肯定的にとらえると寿命が長くなる!
福山 鞆湾の入口の守り神「淀媛神社」
わからなくてもいい、日本の古典を教えたほうがいい!
厚木 古くはこのあたりに鋳物師がいた「子合地蔵尊」
「運が悪い」と嘆く時間がもったいない!
鎌倉 祇園社神霊を疫病流行時に勧請「八雲神社」
エゴに満ちた心には、複雑な事象しか見えてこない!
尾道 幕末芸州藩が派兵し、この寺を本陣にした「妙宣寺」
順風満帆ばかり続くとはかぎりません!
愛川 半僧坊大権現を祭る「勝楽寺」
ボランティア活動は、他者に気持ちを向けるようになる!
鎌倉 露天の大仏になってしまった「大仏(高徳院)」
上司は部下の実力、性格、伸び代をきちんと確認!
尾道 手水に石造の神亀が「艮神社」
南蛮船の登場以前、日本の海外貿易は倭冠が支配!
厚木 源頼朝側室後の局、祭神小町姫に祈願「小町神社」
その他 特 集

相武台公民館にて「台湾少年工と高座工廠」
プレゼンテーションへ

 test1 test2 test3
 参考にした書籍・場所
 
 境内には、桜田門外の変で井伊直弼を襲撃した水戸浪士広木松之助の墓もあります。1860年 桜田門外で井伊直弼を襲った水戸浪士のひとり広木松之介が捕縛を逃れ、北陸、越後をへて上行寺にいたり、襲撃3年目に自刃したとか。
 福をもたらすとされいる七福神、神様たちの表情が豊かす。 自然と笑顔になりますね。
 七福神のうち、何と6人は外国出身です。釣り竿を持ち、鯛を抱えた恵比寿様だけが、唯一の日本発祥の神様です。むかしは移民にはおおらかでした。
 七福神とは、恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁才天、福禄寿、寿老人、布袋です。室町時代に広まり、江戸時代に信仰が盛り上がりました。一月二日の夜に、宝船に乗った七福神の絵を枕の下に敷いて寝ると縁起がよいといわれます。






 お地蔵さまが広く民間に受け入れられたのは、他の菩薩が天界にあって救済活動を行うのに対して、お地蔵さまは大地にあって救済を行うためでもある。
 お地蔵さまのご利益は、万物を蔵する大地だから守備範囲は広く、延命地蔵、身代わり地蔵など目的別のさまざまな名前で役割分担をしている。