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「知識の組み合わせ遊び」へ と 「風土の探検」へ
2026年7月20日(月)
厚木 曹洞宗僧侶の修行道場だった「清源院」
 1050年天台宗の桓瞬和尚が開山と伝わる古刹。

 一時は荒れてたこのお寺を再建したのは、曹洞宗の天巽和尚。

 伊豆の伊東一族の子孫と伝えられている、伊東九郎三郎政世は源清院を菩提寺とし、源清院本堂裏には、政世をはじめとする伊東一族の宝筐印塔が並んでいる。
  
 天巽和尚は、足柄の最乗寺15世を勤めた人、最乗寺での務めを終えられて沼田の龍華院に帰る途中、上州で起きた戦乱に巻き込まれることを避け、上荻野にある松石寺に足止めされていたとき、松石寺の住職の地位を譲られた天巽は、三田にあり荒廃していた天台宗清源院の再建に乗り出す。

 曹洞宗に改められた清源院は、天巽派の寺院として復活を遂げる。
知識の組み合わせ遊び・風土の探検 履歴

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 参考にした書籍・場所
 
 厚木市三田に曹洞宗の巨利、東福山清源院があります。三田地域のほぽ中央、西方丘陵、緑したたる森の中に所在し、禅宗としての巨刹です。この地は、昔北条氏の家臣、越智弾正忠の館跡とも伝えられ、清源院の本尊薬師如来像は、天正年間、越智出雲守の寄進によると伝えられます。
「新編相模国風土記稿」によると、中世期末の曹洞宗の名僧天巽(てんそん)慶順和尚(1498年没)を中興開山と記しています。
 江戸時代には、曹洞宗の相模国の中本山として僧侶の修行所・学問所という権威をもち、末寺30余か寺、孫末寺125か寺をもつ大きな寺院でした。
 日本でお寺の数が一番多いのは曹洞宗です。僧侶の数も曹洞宗が一番ですね。曹洞宗は出家形態を重視する宗派だからでしょう。
 曹洞宗の開祖の道元禅師の言葉に「学道の人は、自解を執することなかれ」と。
 道を学ぼうとする人間は、自分の解釈に執着してはならない---といった意味です。
 また、道元は「学道の人は先(ま)づ須(すべから)く貧(ひん)なるべし」というものがあります。
 道を学ぶ人は、物質的にとらわれていては、とても安心立命の境地には至らないということで、そのためには貧の状態で修行しなければならない、ということだそうです。