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お地蔵さん

料識亭(ころんぶすのたまご)
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「知識の組み合わせ遊び」へ と 「風土の探検」へ
2026年8月25日(火)
鎌倉 季節の花木や野草が咲き乱れる「収玄寺」
 1271年 日蓮聖人の龍口法難の際、日蓮と共に殉死の覚悟を決した第二代執権義時の孫、江間光時の家臣の四条金吾の屋敷跡に金吾の滅後、捨身護法・法華色読の霊地として建立。

 創立当初は収玄庵と称したが大正末期の本堂改築を機に収玄寺と改称した。

 四条金吾は医術にも造詣が深く鎌倉、佐渡、身延にと終始日蓮聖人に給仕し法華信者の鑑として大聖人より厚い信頼を受けた。
知識の組み合わせ遊び・風土の探検 履歴

夢は、ひとたび文字にして記されると!
尾道 現在はあまりにも小さい「磯の辨天神社」
完全に“私心”を取りさることはむずかしい!
厚木 旧名妙見宮(天之御中主神)を祀った「鐘鋳神社」
尊い人を描くときは必ず光が描かれる!
鎌倉 生き延びた比企高塚の屋敷跡に「本龍寺」
一人の時間を味わい深く過ごす力!
尾道 港の守護神を浄土寺から移す「住吉神社」
段取りこそ、自分と人との関係をスムーズに運んでゆく!
愛川 八菅山修験の第五番目の行所「塩川の滝」
生きることに絶望する人が戦争を起こし
鎌倉 日蓮が「立正安国論」を執筆した「安国論寺」
苦手なエアコンと上手に付き合う!
尾道 聖観音に祈願して海難をのがれた「善勝寺」
森林浴の気持ちよさ、科学的根拠を示すことができる!
厚木 飯山の観音さん「長谷寺」
性格は、人生のいろいろな段階で変わっていく!
海老名 江戸時代初期に創建されたか「龍昌院」
嫌われているなと思っている人には挨拶をしておく!
物質的な富を誇っても、その人自身の価値ではない!
尾道 四十八夜念仏修行ののち入水往生「信行寺」
近日中にかたづけるべき仕事を列記する!
厚木 相模国式内社の「小野神社」
マネジメントは、あくまで「継続的なもの」!
その他 特 集

相武台公民館にて「台湾少年工と高座工廠」
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 参考にした書籍・場所
 






 「四条金吾邸址」の石碑が目をひきます。石碑は日蓮宗の信者で、日露戦争の時連合艦隊を率いた、東郷平八郎の筆によるものです。
 鎌倉時代に日蓮宗(法華宗)を開いた日蓮は「妙法蓮華経」の五字に釈迦如来の力のすべてがこもっており、人の信心をあらわす「南無」をつけた「南無妙法蓮華経」の七字によってうけとれるとしました。それを「妙法五字七字」といいます。
 『法華経』に説かれているのは、この宇宙には人の言葉ではあらわせない神秘があり、そこに諸仏の力が働いているということです。
 その確信を日蓮は「南無妙法蓮華経」の七字の題目に込め、題目を中心に釈迦・多宝如来をはじめ、日本の天照大神や八幡大菩薩などの尊名も書き入れた大曼荼羅をあらわして、弟子・信徒に信仰の本尊として与えました。
 鎌倉に入った日蓮は、はじめは庵を持たすに“辻説法”と呼ばれた独特の市教活動を行い、大衆に法華経を説いた。
 その頃の鎌倉は大地震や洪水などの天災が続き、また疫病流行するなど深刻な社会不安に陥っていた。日蓮はこのような社会の状態を仏教的に解釈し、法華経の功徳が人々を救うとして文応1年(1262)に「立正安国論」を著して、幕府の第5代執権の北条時頼に差し出したのであった。