`

お地蔵さん

料識亭(ころんぶすのたまご)
ホームページの構成説明へ
ブログへ
お地蔵さん
つながり 一覧図表
ビジネス 一覧図表
安  全 一覧図表
科  学 一覧図表
感  謝 一覧図表
教育勉強 一覧図表
健  康 一覧図表
雑談会話 一覧図表
子 育 て 一覧図表
自  然 一覧図表
社  会 一覧図表
取り組み 一覧図表
習  慣 一覧図表
商  品 一覧図表
笑顔笑い 一覧図表
情報知識 一覧図表
色  彩 一覧図表
食 べ 物 一覧図表
心 構 え 一覧図表
世  間 一覧図表
政  治 一覧図表
組  織 一覧図表
文  化 一覧図表
コミュニケーション 一覧図表
「知識の組み合わせ遊び」へ と 「風土の探検」へ
2025年6月21日(土)
座間 家康と関係の深い寺「宗仲寺」
 駿州(静岡県)久能山に仮埋葬された徳川家康の遺骸は、家康の遺言により一年後、野州(栃木県)日光に移送されることとなった。

 遺骸移送につきそう行列は千人近くに達し、荘厳の中にも悲しみを秘めて、1617年3月18日に出発した。

 途中、小休止する場所、宿泊する場所は、家康ゆかりの地が選定されていた。

 家康の遺骸移送の行列は、座間宿に入り宗仲寺で小休止をした。

 座間宿に到着した一行は、遺骸を寺の境内に建てられた御殿に安置して、地頭内藤若狭守等の心づくしの接待を受け、昼も近かったので弁当の馳走にあずかり緊張感しばし解きほぐしたことであろう。

 その間座間宿村では、町田の木曽村までの役夫として人足三人、馬一頭を整え、一行の出発を見送ったと「宗仲寺史」に記されている。
知識の組み合わせ遊び・風土の探検 履歴

「お笑い」というオブラートで包む!
尾道 石造の神亀が手水舎に「艮神社」
「昔はよかった」と、過去というのは都合よく現れる!
鎌倉 観音さまを安置するのによい場所「杉本寺」
作物は、一度に熟すほうが収穫しやすい!
厚木 北条氏家臣による創建「法界寺」
「誰を、何を、信じていいのかわからない」というのは!
奇祭ベッチャー祭の「吉備津彦神社」
ものの見方を変える!
鎌倉 水戸光圀が7日間ほど逗留「英勝寺」
スキルに頼らない賭博や宝くじ、非任意性の連続が起こる!
鎌倉 石仏補陀落迦観自在窟 「円覚寺 大方丈」
最近の異常な犯罪は、子供時代の学びにあるのでしょうか?
相模原 西部 鎌倉幕府や北条氏の保護が「無量光寺」
本田宗一郎、小さな工場時代「ホンダはやがて世界一に」宣言!
尾道 夕方“鐘の音”が市街に響く「千光寺」
人間の体熱の40%は、筋肉より発生!
鎌倉 北鎌倉駅方面の街並みが良く見える「八雲神社」
他者中心の人は、心の眼を他者に奪われる!
厚木 樹齢約600年の御神木イチョウ「荻野神社」
脂質摂取量を減らし、糖質摂取量が増えた結果は肥満大国!
尾道 五重塔から三重塔へ「天寧寺 三重塔」
北朝鮮の金日成を、スターリンがでっち上げたエセ英雄だと!
鎌倉 洞窟の壁に磨崖仏「長谷寺」
その他 特 集

相武台公民館にて「台湾少年工と高座工廠」
プレゼンテーションへ

 test1 test2 test3
 参考にした書籍・場所
 宗仲寺は家康と関係の深い寺である。この寺の開基は内藤清成で、家康の側近として活躍した人であり、開山源栄上人も若いころから家康と親交があった上人である。
 家康は鷹狩りを好み平塚に中原御殿、府中に府中御殿を建て、しばしば鷹狩りを催したといわれる。座間宿村は、中原御殿へ四里(約16km)府中御殿へ六里(約24km)という位置にあり、鷹狩りの道筋にあたっていたため、三回この宗仲寺にたちよって源栄と談話したことが、いくつかの史料の中に残されている。
 家康は鷹狩りの途中にこの宋仲寺によっていました。鷹狩りは4世紀頃には、既に鷹狩りが行われていました。戦国時代には、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康はいずれも鷹狩を好み、気分転換の遊芸にとどめず、身体を鍛える一法とみなし、内臓の働きを促して快食・快眠に資する養生と考えていたことが知られています。
 鷹狩りの主な獲物はハトだそうです。武将達が「鷹狩り」をし、江戸幕府が「伝書鳩を禁止」していたのは、通信手段を制限したかったのでしょうね。
 悟りを得られなかった人間が地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六道のなかを輪廻することから救うため、「六地蔵」が生まれました。 
 六地蔵は、死んで六道に迷うことになっても地蔵菩薩に救われるということから墓地の入口あたりにまつられていることが多いそうです。