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料識亭(ころんぶすのたまご)
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「知識の組み合わせ遊び」へ と 「風土の探検」へ
2025年7月9日(水)
相模原南西 庚申信仰の本尊を祀る「勝源寺」
 勝坂の金沢山勝源寺は、曹洞宗愛甲郡小野竜鳳寺末で開山は笑山充間(寛永五年没)、開基は村民伊右衛門(寛永10年没)である。

 ここの青面金剛は明治時代に養蚕祈願の庚申さまとして賑わったお寺です。


 青面金剛尊霊場(札所)

 青面金剛は中国の道教が基礎となった庚申信仰の本尊です。庚申信仰では、人の身体には三匹の虫「三戸(さんし)」がいて、庚申の日の夜には人が寝ている間に抜け出し、天帝に宿主の罪科を報告すると考えられています。悪行が伝わると寿命を短くされてしまうため、皆で集まって徹夜する「庚申待ち」という風習が生まれました。

 この会合を「庚申講」と呼びます。庚申講は平安時代から貴族に広まり、やがて民間でも盛んとなり、夜通しの酒宴へと変化していきました。仏教では、青面金剛は帝釈天の使者で、悪霊を払い除く力があるとされています。
知識の組み合わせ遊び・風土の探検 履歴

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 参考にした書籍・場所
 このあたりでは、民衆は個人的な信仰行事ではなく、近隣の人々が集まって集団信仰の形で行っていたようです。庚申の日の夜に決められた家に集まり、「青面金剛」の像を描いた掛げ軸を下げて礼拝し、自分自身や家族の健康と長寿などを祈りました。
 その後は飲食や歓談などをして賑やかに夜明けを待ちました。このような集まりが定常化して“庚申講”と呼ぶ組織が作られ、講の人々が共同で庚申供養塔を造立し、それを信仰の証にするとともに講の仲間の結束を図ったのでした。






 曹洞宗の開祖の道元禅師は、「学道の人は、自解を執することなかれ」と。道を学ぼうとする人間は、自分の解釈に執着してはならない……といった意味です。¥
 にもかかわらず、現代人のうちには、そんな「少欲知足」であれば、日本経済は発展しないし、会社は潰れてしまう。馬鹿なことを言ってもらっては困ると………。
 庚申信仰といいうのはごく簡単にいえば、人間の体内には三匹の虫が住んでいて、六十日毎に回ってくる庚申の夜、人間を抜け出して天上へ上がり、天の神様へその人の所業を全部告げてしまい、その言葉によって、神が人罰を下される。
 だから庚申の夜は、虫が身体を抜け出さないように、徹夜で見張っていなければならない、というので、中国から奈良時代に(日本に)伝わり、上流階級から次第に庶民の間に広まったものです。