お地蔵さん

料識亭(ころんぶすのたまご)
ホームページの構成説明へ
ブログへ
お地蔵さん
つながり 一覧図表
ビジネス 一覧図表
安  全 一覧図表
科  学 一覧図表
感  謝 一覧図表
教育勉強 一覧図表
健  康 一覧図表
雑談会話 一覧図表
子 育 て 一覧図表
自  然 一覧図表
社  会 一覧図表
取り組み 一覧図表
習  慣 一覧図表
商  品 一覧図表
笑顔笑い 一覧図表
情報知識 一覧図表
色  彩 一覧図表
食 べ 物 一覧図表
心 構 え 一覧図表
世  間 一覧図表
政  治 一覧図表
組  織 一覧図表
文  化 一覧図表
コミュニケーション 一覧図表
「知識の組み合わせ遊び」へ と 「風土の探検」へ
2023年10月2日(月)
鎌倉 光明寺草創以前よりこの地に「蓮乗院」
 この寺院の創立年代や開山については、はっきりわかりませんが、光明寺より早い時期からこの地にあった寺で、蓮乗寺(れんじょうじ)といってはじめ真言宗(しんごんしゅう)だったということです。

 その後、光明寺が佐助ヶ谷(さすけがやつ)から移されてきてから、光明寺の子院となり、浄主宗(じょうどしゅう)の蓮乗院と改めたといわれてします。

 1243年(寛元元年)に光明寺が良忠によって創建されたといわれますが、寺院の落成まで良忠は蓮乗院に居住して、建築を監督(かんとく)したということです。

 こうしたことから、光明寺の新しい住職となると、まず蓮乗院に入ってから改めて光明寺の本山方丈(ほうじょう)に入る慣わしになりました。
知識の組み合わせ遊び・風土の探検 履歴

国際関係で大事なのは道徳的な姿勢!
尾道 京からお連れした仁王さん「西国寺山門」
潔癖性は理想主義に通ずる!
鎌倉 塩嘗(しおなめ)地蔵を収める「光触寺」
「ダメだ」と言いそうになったら、「タメだ」と!
福山 鞆の浦 仏庭十三仏がある「地蔵院」
選択は、いつも自力で行うのが基本!
鎌倉 望みが絶たれた徳川忠長を供養「薬王寺」
古代の人類は太陽信仰みを持っていた!
尾道 蓮花坂(れんが坂)入口 → 大山寺へ
ビジネスにお客からのクレームはつきもの!
厚木 廃仏毀釈の影響が大きかった「龍鳳寺」
まずはほめてから、問題点を指摘!
鎌倉 ここにも稲荷を祀られている「本成寺」
思春期は、見た目に最も関心を払う時期!
尾道 のどかな海岸広場が 「尾道駅前海岸」
「あるがままの自分」を生きている!
海老名 江戸時代初期に創建されたか「龍昌院」
子どもが一番したいことは「ダメ」と言われたこと!
鎌倉 鎌倉幕府ができる前からあった「御霊神社」
時間をどうしたら生み出せるか!
尾道 奇祭ベッチャー祭の「吉備津彦神社」
上司も部下は、単なる役割分担!
厚木 相模観音霊場27番札所だった「聖眼寺」
その他 特 集

相武台公民館にて「台湾少年工と高座工廠」
プレゼンテーションへ

 test1 test2 test3
 参考にした書籍・場所
 蓮乗院の本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)ですが、この仏像は、源頼朝(みなもとよりとも)の御家人であった千葉常胤(つねたね)の守り本尊と伝えられています。蓮乗院の寺の紋が月星(つきぼし)であり、千葉家の家紋も同じ月星であることから、何らかの形で千葉家とのかかわり合いがあったと思われます。
 この阿弥陀如来には「正安元年」(1299年)という鎌倉時代の年号があり、貴重な文化財といえます。
 阿弥陀如来の信仰は、平安時代の末法(まっぽう)思想の流行とともに貴族を中心に広まりました。鎌倉時代には法然が浄土宗の開祖となり、弟子の親鸞(しんらん)は浄土真宗をおこします。こうして大衆に浸透していきました。
 本堂には、十一面観昔菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)・善導(ぜんどう)・法然(ほうねん)・阿弥陀如来(あみだにょらい)・釈迦如来(しゃかにょらい)・弘法大師像(こうぼうだいしぞう)などが安置されています。
 また、本堂の板ふすま絵や、極楽浄土を思わせる天井の花や鳥の絵はみごとです。
浄土宗の開祖:法然
 ある人が法然上人に尋ねた。「念仏をしているとき、どうも眠くなって困ります。どうしたらよいのでしょうか?」すると、法然上人はこう答えられた。「それなら、目が醒めたときに念仏をされるとよい」温かみのある言葉です。法然上人には、ごく普通の人々からの質問に答えた、『一百四十五箇条問答(いっぴゃくしじゅうごかじょうもんどう』といった問答集がある。その中には、「酒を飲むのは罪でしょうか?」といった質問に対して、「ほんとうは飲まないほうがよいのですが、世の中の習いです(ま事にはのむへくもなけれとも、この世のならひ)」といった答えがある。これもすばらしい言葉ですね。
“まち” 探 検 ト ッ プ へ
鎌倉 腰越  江の島