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料識亭(ころんぶすのたまご)
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「知識の組み合わせ遊び」へ と 「風土の探検」へ
2025年11月6日(木)
厚木 古くは「赤城明神社」といいった「依知神社」
 祭神:赤城大明神(あかぎだいみょうじん)

 縄文弥生の往古より遠い祖先は、盤筒男命を祭神に依知神社を創建し、郷土の開発に尽力して来た。

 平将門が関東平定のおり、当社に参詣し相模川氾濫の苦難を眼前にし、赤城山神馬献進の託宣を給いたちまち堅牢なる護岸の完成が実現したとのこと。

 このことに感謝感激した 氏子は、将門公の御霊を相殿にして937年社殿を再建し、赤城明神社と称した。

 源頼朝が鎌倉幕府を創設のとき、10万余坪に及ぶ 社領を寄進したという。

 その境内は、祭り競馬をした所を馬場、大鳥居のあった所を鳥井という地名にするほどの広大なる土地であった。
知識の組み合わせ遊び・風土の探検 履歴

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その他 特 集

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 参考にした書籍・場所
 1591年、徳川家康は、当社の由緒経緯と氏子の誠意に深く感動し、御朱印壱石を下賜された。以来依知郷の郷社として祭礼も盛大に行なわれ、金田村までも神輿が渡御したと伝承されている。

 1871年広大な社領も明治維新の大改革により上知となり、ついで社地の払い下げを得て1894年、依知神社と社号を改名し現代に至っている。

 1982年、依知神社社殿改築造営の竣工をした。
 祭神の盤筒男命(いわつつおのかみ)は、日本書紀で記されているが、古事記では石筒之男神(いわつつのおのかみ)と記されている。
 御神徳 単に岩の神であるという説もある一方、石筒は刀筒と同じく堅固な事から刀剣の神、磐が砕けて粒となって飛び散ったことを意味するとする説もあります。






 火防稲荷大明神

 その昔、火事になった時に、狐が出て消火活動をした。また、大火事の時もこの辺りは燃えなかったなど、なにかしら経緯があるのでしょうか?