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料識亭(ころんぶすのたまご)
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「知識の組み合わせ遊び」へ と 「風土の探検」へ
2025年11月10日(月)
鎌倉 焼き討ち時、日蓮救った白い猿「長勝寺」
 この地は、日蓮にかかわりのある本圀寺(ほんこくじ)の旧地といわれています。

 この地の領主石井長勝(ながかつ)が日蓮に帰依(きえ)し、日蓮が伊豆に流され、そこから許されて鎌倉に戻ったとき、自分の邸内に小庵(しょうあん)を建て日蓮に寄進したのが、本圀寺のはじまりといわれています。

 本圀寺が室町時代の初期に京都に移って、この地が廃寺(はいじ)になったのを日静(にっせい)が復興し、山号と寺号をもとの開基である石井長勝の名にちなんで、石井山(せきせいざん)長勝寺(ちょうしょうじ)と名付けられたと伝えています。

 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
知識の組み合わせ遊び・風土の探検 履歴

相手に「意識の矢印」を向けて聴く!
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その他 特 集

相武台公民館にて「台湾少年工と高座工廠」
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 参考にした書籍・場所
 四天王は、須弥山(しゅみせん)世界の守護神で、持国天、増長天、広目天、多聞天の四尊をいいます。須弥山のまわりには、北俱盧洲(ほっくるしゅう)、東勝神洲(とうしょうしんしゅう)、南嗜部洲(なんせんぶしゅう)、西牛貨洲(さいごけしゅう)がありますが、須弥山の中腹にある四天王天に住み、それぞれが四方四州を護る役割を担っています。帝釈天の配下でもあります。
 インドでは仏伝図などに初期のころから登場しており、現在のような念怒相ではなく、穏やかな菩薩に似たすがたをしていました。
 日蓮は鎌時代前期の貞応1年(1222)に安房国に生まれ、12歳の時に天台宗清澄寺に入って16歳で出家した。その後に京に上り、比叡山延暦寺をはじめ京畿の天台宗の一者寺で修業した後に、故郷の清澄寺に戻った。
 しかし、日蓮は修行中に法華経に帰依するようになり、帰郷後はその信仰を強く主張し始めために、清澄寺の僧たちとの間に対立が生じ、それが次第に深刻なものになっていった。そのため翌年に寺を去り、法華経の信仰を広めるべく鎌倉に向かった。日蓮が32歳の時のことでした。
 法華堂ともいう祖師堂は、この形式のものでは関東最古のものといわれ、正面の柱の間が五つある建築様式をもっています。内部には、日蓮上人像(にちれんしょうにんぞう)のほかに、大壇(だいだん)や銅の鰐口(わにぐち)とか懸盤(かけばん)なども置かれています。大壇は、護摩(ごま)を焚(た)くので護摩壇(ごまだん)ともいう蓮弁(れんべん)のみごとな鎌倉末期のものです。鰐口は、仏堂前の軒下につるすもので、「永正十二年」(1515年)の作です。懸盤は、儀式のときに用いる食器をのせる台です。
 帝釈堂には、立派な多宝塔の中に帝釈天がまつられています。