【伝説 蓮如上人の夢】
浄上寺に現在残る「南無阿弥陀仏」の六字の名号は、本願寺中興の第八世蓮如上人のご真筆で「名残りの名号」と伝えられています。
蓮如上人のお父さまは本願寺第七世存如上人で、お母さまは藤原大納言信孝卿の姫君です。
信孝卿は自分に一子もないことを嘆かれて、いつも浄上寺の本尊十一面観音を拝んでおられました。その願いがかなって、応永六年にかわいい一人の女の子を得られました。
かれこれ一年ほど前のこと、信孝卿は夢の中で十一面観音が
しまわれました。
布袋丸は、悲しみをこらえながら得度して「蓮如」と名のり、比叡山の峰に登り、多くの人々と仏教の修行に励まれました。
あるとき、学目こ疲れ、少しまどろみかけて おられると、夢に一人の貴い女の人が現れて、蓮如上人に
「私はあなたの母ですよ。あなたがもし私に会いたいと思うなら、備後国尾道の浄土寺に訪ね ておいでなさい」
とおっしゃったところで日が覚めました。
そこで蓮如上人は、明くる年永享八年に山門を下りられ尾道の浄土寺にお出でになりました。
「この世に身代わりとなって、信孝卿の家に参
ります」
とお告げになりました。それは夢でなく、本当に信孝卿の一人っ子としてお生まれになったのです。そうして大きくなられて、本願寺の第七世存如上人のもとへ嫁がれ、かわいい男の子をお産みになりました。
そのお子の幼名は「布袋丸」といわれ、後の蓮如上人なのてす
布袋丸が六歳のとき、お母さまは涙をうかべながら「あなたももう六歳てすから、私がいなくても立派に成人するでしょう。私は西国備後国の者ですから、今はもう帰らなくてはなりません」と言われ、消えて
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そして夜通しの法楽を捧げられておられると、やがて厨子の扉が内から開かれ、光明さん然とした観音さまがお出ましになり、まことに十七年ぶりに母子が再会をなされました。
母君は、涙とともにありがたい仏の教えを話され、つきぬ名残りをうちはらい、もとの観音さまに
なられました。
蓮如上人は、阿弥陀を信ずることを肝に銘じしばらくの間浄土寺に逗留なさいました。そして、あの有名な「南無阿弥陀仏」の六字の名号を、衣の先を筆に代えて書き記され奉納なさいました。 それから蓮如上人は、涙のうちに都をさして帰られました。
尾道民話伝説研究会 編「尾道の民話・伝説」
(2002年5月刊)より転載