浄土寺(真言宗)
尾道市東久保町  標高:19.9m
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【伝説 浄土寺十一面観世音菩薩 その1】

沼隈郡長和村に、三谷豊前という男がおりました。豊前の祖母は、たいそう信仰あつい人でした。
 ある年の正月に七日七夜、浄土寺の観音さまにお参りしました。すると、七日目の満願の日、夢の中に菩薩さまが現れて扇を一つ授けてくださいました。
 豊前の祖母はありがたく思いながらも扇を返して、
「私は年老いて現世の幸福は願いません。ただ、後世の苦しみを救ってください」
一心こ頼みました。
「さらば、これを汝に与えん」
扇を箱に納め浄土寺の観音さまへ奉納したといわれます。

尾道民話伝説研究会 編「尾道の民話・伝説」
(2002年5月刊)より転載
と、こんどは水晶の数珠をくださったところで夢がさめました。
 ひざのあたりを見ると一連の数珠があって、夢に見たものと同じでした。ありがたくいただいて、夜明けに門前の石段を下りていると、一 つの扇が落ちているではありませんか。よく見ると、夢で授かった扇と
同じです。開くと亀甲に蓬莱山が描いてあります。これこそ、現世と後世ともに助けてくださったのだと喜び、持ち帰りました。
 それからというもの貞享年問まで五代にわたり、家はますます繁昌して良いことばかり続きました。
 この縁起を長く後世に伝えるため、貞享年中に、






 境内そのものが国宝(非常にめずらしい)

 そんなに広くはない境内に、国宝や重要文化財がたくさんあります。
 1994年7月、境内地全域が「建造物と一体をなしてその価値を形成している土地その他の物件」として本堂とともに国宝に指定されました。
 この寺は後醍醐天皇と足利尊氏・直義兄弟の両方から帰依され、外護を受けている。山陽屈指の名利です。
【伝説 浄土寺十一面観世音菩薩 その2】

 備後尾道浦、浄土寺の本尊十一面観音さまは、むかしから霊験あらたかとの評判でした。
 ある時代、一人の男がいました。その男の妻はたいそう美人でしたので、よこしまな男がその妻に手紙を出し、いろいろくどきました。その妻の心は固かったのですが、手紙が重なるうちに、とうとう人目を忍ぶ中になりました。やがて、夫の知るところとなり、立腹して相手の男を殺そうと決心しました。そして、浄上寺の観音さまへ参詣して、
「どうぞ、観音さまの御加護によって討たせてく
見ると血がついています。不思議なことだと思った夫は、いそいで切り倒した場所に行ってみると死体がありません。夢だったのかとあやしんで、その男の家に行き、
「おまえは私の妻と密通しているので、さっき斬ったはずだ。それなのに無事でいるのはどういうわけだ」
と言いました。すると男は、「私もさきほど浄土寺に参りましたが、どなたにもお会いしてません」
との返事。
 さて、不思議なことだと思って二人は浄土寺へ行きました。堂内に血が流れています。住職に頼んで扉を開けてみると観音さまの右肩から左の脇
 昭和の大修理(1968年開始)後、それまで古びた茶色のお寺が、鮮やかな朱色になりました。
 本堂(国宝)1327年の建立。

 入母屋造本瓦葺き。和様を基調として大仏様、禅宗様の細部を取り入れた、中世折衷様仏堂建築の代表作。
ださい」と、日々お願いしました。相手の男もそれを聞いて、ひそかに観音さまに参詣すると、
「私は愛欲の火に焼かれて悪いことをしました。後悔しています。どうか救ってくだい」
と、お願いしました。 このように二人とも忍んで参詣していましたが、ある日の帰りがけにばったり出
会いました。夫はありがたい観音さまの引き合わせとばかり、刀を抜いて男に斬りかかりました。男は真っニつになって倒れてしまいました。夫は喜びいさんで家に帰りました。
 ところが、家の前を斬り倒した男によく似た男が通りすぎていくのです。たしかに倒したはずだと刀を










 本堂内部
 本堂内部

「大聖歓喜天」… 秘仏中の秘仏とされ、他の神仏では到底きいて貰えないような無茶な願い事もかなえてくれるという。
まで刀痕があり、泉のごとく血が流れています。二人は、今までの行為を深いく反省し、その後仲良くしたということです。

尾道民話伝説研究会 編「尾道の民話・伝説」
(2002年5月刊)より転載
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