修理前の状態
軒下にある「斗栱(ときょう))の数が多く難しい。多宝塔でも斗栱は、構造上、装飾上ともに、とても重要な役割を果たします。なぜ、こんなふうに複雑な構造にしなければならなかったのか。それは、現代の宮大工でも見当もつかないことです
修理前の蟇股(かえるまた)の状態
蟇股は彫刻にこっていたのですが、時代が新しくなるにつれて規格化し、どんどん装飾的になっていきました。
昭和10年(1935)解体修理中の写真です。
多宝塔の多くの「心柱」は二重から下がってきて、初重の上で切れています。頭の部分には「相輪」と呼ばれる飾りを被っています。
多宝塔や三重塔、五重塔は、卒塔婆から発達してきたものだそうで、本来は仏舎利(お釈迦さまのお骨)を納めるためのものです。だから、どこの塔でも内部に人がはいることはあまり重視していません。塔であることが大事なのです。ましてや人を登らせて周りの策色を見物させるなどということは、そもそも考えていないません。
修理に携わった大工さんたち
多宝塔は複雑な造り方をしています。だからこそ、大工の心を惹きつけるのです。多宝塔には伝統的な木造・建築の技術の粋が注ぎ込まれていると言っても過言ではない、とのことです。
屋根の上の相輪(そうりん)の中から経巻など多くの納入品が発見された。