浄土寺(真言宗)
尾道市東久保町  標高:19.9m
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【伝説 ハトの道案内】

 南北朝のむかし、京での戦に敗れた足利尊氏が、兵力を立て直すために九州へ下る準備を進めていたときのことです。どこからともなくまっ白いハトが飛んできて、尊氏の御座船の上を何度もゆっくりと旋回し、帆柱に止まりました。
 「おお、あれを見よ。源氏の流れをくむわれらの船出を白バトが祝ってくれておる。幸い先よいことじや。今度の戦の大勝利は間違いあるまい」
と、尊氏の喜びの大声に、家来の者も勇気百倍、ヤンヤと船ばたをたたいて歓声を上げました。
「このたびの戦は尊氏一生の大事です。何とぞ観世音薩様の御加護により、勝利を与えたまえ」と、戦運ぱん回を祈りました。
 この祈りが通じたか、尊氏は三万余の武士や船頭を集めることができ、勢いづいて九州へ下り、筑前(今の福岡)多々羅浜で菊池武敏の大軍を破り、九州を平定して再び東への途へとついたのです。
「この大勝利、まさしく観音様のお力添えがあったればこそ。あの白ハトこそ、観世音菩薩の化身に違いあるまい」
そう考えた尊氏は、帰路再び尾道浦に船を泊めて、
 白バトの水先案内で尊氏の大船団は、途中敵もなく瀬戸内海を西へ西へと進みました。数日の後、島に囲まれた景色の美しい港に船が着きました。
 「これはまたにぎやかな町じゃが、どういうところじや」
「はい、備後の国、尾道というところです」
「はい、十一面観世音菩薩を御本尊にいだく浄土寺と申す寺でございます」
「すると、これはわしが日ごろ信仰する観世音菩薩のお導きに違いない」
と、尊氏は思わず合掌し、深々と頭を下げました。
 石段を上っていくと大勢の僧侶たちが尊氏一行を
「美しいところじやのう。今宵はここに船を泊めることにいたそう」
 こうして尊氏は、船のいかりを降ろしました。ハトに導かれ陸地を踏むと、すぐ目の上に七堂伽藍を備えた立派な寺が見えました。
「何という寺じや」
待ち受けていました。
「ようこそお越しなされました。みな心待ちにお待ちしていたところです」
 その言葉は、既に尊氏一行の参拝を予期していたようです。これは不思議な縁だと、たくさん金品を寄進をし





 数十年前には、六地蔵の奥に池があり、亀が住んでいました。
一族郎党とともに浄上寺本堂に参籠し、一万巻の観音経を納め、法楽の和歌三十三首を献じて、観音様への感謝の気持ちを表しました。
 いよいよ明日は京へ向かって船出という夜のこと、尊氏の夢枕に観世音菩薩が現れて、不思議なお告げをしました。それは、本堂の扉をはずし、盾板と
するなら、いかなる敵の矢石も防げるというものでした。
 尊氏は住職にこのことを話し、許しを得てこれをはずし、御座船にしっかりと取りつけ、以後の戦ではいつも大勝利をおさめ、ついに室町幕府を開きました。 尊氏の軍船を案内した白バトは、その後も
戦のたびごと空高く尊氏軍を導いたということですが、世が平和になると浄土寺に舞い戻りそのまま住みつきました。

尾道民話伝説研究会 編「尾道の民話・伝説」
(2002年5月刊)より転載








 足利尊氏が、京都を奪還すべく九州から攻めのぼるとき、浄土寺に参詣しました。眼下の尾道水道は数万の軍勢と軍船で埋まったということです。当時の伽藍が今に伝わっています。
 阿弥陀堂(重要文化財-国)

 室町初期(1345年)の建築、質素ながら優美さを感じさせる建築
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