「地獄」については、夜毎に地獄に通って閻魔の裁判を手伝ったというエピソードが残っています。今でもが地獄に出向いたという井戸が京都東山の六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)境内に残っている。さらに還ってきたという井戸が今は廃寺になった京都嵯峨の福生寺にあったともいわれている。珍皇寺の閻魔堂には小野篁作と言われる閻魔大王と篁の木像が並んで安置されていて、地獄の釜の蓋が開くお盆に突くと先祖の霊の道案内をするという「迎え鐘」があり、篁と閻魔に関するいくつかのエピソードが伝わっている。
地獄道
餓鬼道
地獄道は罪を償わせるための世界である。詳細は地獄を参照のこと。
餓鬼道は餓鬼の世界である。餓鬼は腹が膨れた姿の鬼で、食べ物を口に入れようとすると火となってしまい餓えと渇きに悩まされる。他人を慮らなかったために餓鬼になった例がある。
畜生道
修羅道
人間道(生苦)
畜生道は牛馬など畜生の世界である。ほとんど本能ばかりで生きており、使役されるがままという点からは自力で仏の教えを得ることの出来ない状態で救いの少ない世界とされる。他から畜養(蓄養)されるもの、すなわち畜生である。
修羅道は阿修羅の住まう世界である。修羅は終始戦い、争うとされる。苦しみや怒りが絶えないが地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界である。
人間道は人間が住む世界である。四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、苦しみが続くばかりではなく楽しみもあるとされる。また、唯一自力で仏教に出会える世界であり、解脱し仏になりうるという救いもある。
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人間道(死苦)
天 道
声聞(小乗)
天道は天人が住まう世界である。天人は人間よりも優れた存在とされ、寿命は非常に長く、また苦しみも人間道に比べてほとんどないとされる。また、空を飛ぶことができ享楽のうちに生涯を過ごすといわれる。しかしながら煩悩から解き放たれておらず、仏教に出会うこともないため解脱も出来ない。
もとは仏陀在世時の弟子を指していた。原始仏教聖典では出家・在家を含めた仏弟子を意味した。 門弟や弟子の意味で用いられるのはジャイナ教聖典でも同様であったが、ジャイナ教聖典では、のちには在俗信者のみを意味するようになった。