【銅 鐘】
寺伝によると一夜にして鐘の行方が知れなくなり、のちに夢告によって地中より掘り出し得たという「飯山の隠れ鐘」の伝説をもつ梵鐘である。
「坂東霊場記」に「若し病者此の響きを聞て至心に大悲者を持念すれば病の愈わること流れに物を洗う如し」とあり実に美しい余韻をもつ。嘉吉二年(1442)関東の地で初めて大工権守、清原国光が鋳造した名鐘である。鐘の音はト音、総高142cm、口経81on、撞座23.5cm。
(「長谷寺案内」長谷寺発行より)
とかしてこの鐘の功徳を取り戻そうと考えたそのときの僧が、村人と図って60cmあまりの銅鐘をつくって古い鐘楼にかけ、参詣の人につかせました。すると、このことが観音様のお心にかなったのでしょうか。僧へ夢のお告げがありました。早速その隠れ場所を2mばかり掘ったところ、ありがたいことに古い鐘がそのままの姿を現しました。人々は寺の傍らに新しい鐘楼を造ってその鐘を掛け、鐘の音の功徳を受けるようになりました。
【出典】『厚木の伝説・厚木地名考』『厚木民話集ふるさとの夢』
飯山の隠し鐘(小鮎地区)
飯山の観音様の釣り鐘は、昔、霊験あらたかなお坊さんが造ったもので、板東でいちばんありがたい鐘であるといわれています。この鐘の音を開く者は、みな心を洗われる気がします。病人もこれを聞いて一生懸命信心すれば、病はたちどころによくなりました。
ある日のこと、お坊さんが朝の鐘をつくのを怠ったことがありました。するとその晩、急に激しい風雨とともに雷が鳴って、鐘の行方がわからなくなってしまいました。お坊さんは心から懺悔し、慌てて探し回りましたが、見つかりませんでした。
それからずいぶん長い年月がたちました。なん