であります。宝形堂で斗棋の組み物や、十二支を素朴な彫りに飾った墓又等によった格調高い建築様式です。内陣には寛文十二年(1672)に旧飯山村の大工西海氏によって造られた厨子が安置され観音堂と共に重要文化財に指定されており、その中に本尊十一面観世音菩薩立像が納められている。
(「長谷寺案内」長谷寺発行より)
【観音堂】 (重要文化財)
建久年間(1109~1198)源頼朝公が秋田城介義景に命じ造営を加えしめられた。
だが、嘉吉二年(一四四二)春一山炎上する処となり、ついで六間半四面の堂宇を再建されたのが堂宇
【本尊十ー面観世音菩薩】
当山本尊の十一面観世音は五尺八寸(約180cm)で左手に水瓶を持つ、行基自ら楠の木で造ったという三寸五分余りの閣浮檀金の尊像を胎内に納めている。普門品第二十五(観音経)に説く観世音
菩薩のご利益は「若し無量百千万億の衆生ありて諸々の苦悩を受けんに、是の観世音菩薩を聞いて、ー心に名を称せば菩薩は即時にその音声にその音声を観でて皆解説を得しめん」とあり、それは、三十三種の身に変じてあらゆる場所にあらわれ、衆生のそのような苦悩をも観世音菩薩を救って下さるというものです。
(「長谷寺案内」長谷寺発行より)