相武台よもやま話 「相模野[相模原]台地」 :相武台歴史同好会
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ワンポイント

火砕流:

 火山の唄火活動の中で生じる現象。高温の火山灰、火山岩などが一団となって高速度で斜面を流れ下り、災害を引きおこすことがある。最近では、1991年(平成3年)の長崎県雲仙普賢岳の喰火で火砕流が発生し、大きな災害をおこした。
公民館報 第218号 発行日:2021年11月30日
「目久尻川の源流と古い坂をみんなで歩こう!」(抜粋)
目久尻川 —めくじりがわ— 
相模川の支流なので一級河川。長さ19.2km

 風土記稿には栗原村(座間市域)から流出とあるが、実際はもっと北で、現在の相模原市南部、暗渠となり相武台前駅と小田急相模原駅の中間で線路の下にもぐっている。栗原遊水地の解説板には<その源を相模原市相武台団地付近に発し、とあるからこの方が正しい。線路の南で露出した溝状の流れとなり座間市小池を流れる。ここに白髭社と弁天社を合祀する小社があって、そこの解説碑に往古この地にあった泉が源流、とあるから風土記稿はこうした説によったものであろう。最初の橋らしい橋は前田橋。その下流に55ヘクタールという広大な栗原遊水地がある。川は海老名に入ると柏ケ谷、望地を流れ、綾瀬の早川から藤沢市南部、さらに寒川の一の宮で相模川に合流。古代・中世は相模川は大き過ぎて手に余り、かえってこの目久尻川が母なる川として活用された点は鳩川と同じである。
相模原事典より抜粋 著:涌田佑・久子
地名の移り変わり

・1889(明治22)年、市制・町村制が施行され、江戸時代から市域にあった18の村は合併して7村になり、旧村の名はそのまま字名(大字)となった。このうち、溝村は1926(大正15)年に町制を施行して上溝町となった。
・1941(昭和16)年、軍都建設に伴う区画整理事業が進められる中、座間町(現在の座間市)を含めた2町6村が合併し、相模原町が誕生した。これに伴って、大字淵野辺の中の大沼地域を大字大沼に変更した。
・1948(昭和23)年、第二次世界大戦後に座間町が分離した。
・1951(昭和26)年1月には、大字下溝・新戸・磯部にまたがっていた旧陸軍士官学校練兵場跡地が払い下げられて、その区域が大字麻溝台と大字新磯野になった。
・1952(昭和27)年には大字淵野辺の一部を大字古淵に変更した。
・1954(昭和29)年11月20日、相模原町は市制を施行して相模原市となった。
・1964(昭和39)年からは住居表示に関する法律に基づいて新しい町名が付けられるようになった。
・2004(平成16)年2月現在、71の新町名が付けられ、旧来からの大字は15となっている。
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