海光山 長谷寺(浄土宗)
鎌倉市長谷  標高:23.8m
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 石段を上りきると上の境内で、観音堂をはじめりっぱなお堂が並んでいます。一番右手にかきがら稲荷(いなり)があり、その手前に大きな梵鐘(ぼんしょう)がさがった鐘楼かあります。この鐘は1984年(昭和59年)に造られた新しいもので、古くから長谷寺に伝わる鐘は、鎌倉時代に造られた貴重なものなので、現在は宝物館に展示されています。毎朝8時の開門時にはこの鐘の音が長谷の町に響き渡ります。大晦日(おおみそか)には除夜(じょや)の鐘として一般の人もつくことができます。
 鐘楼のすぐ左にあるお堂は阿弥陀堂(あみだどう)です。
されています。左手に蓮華(れんげ)をさした水瓶(すいびょう)を持つ一般的な姿に加え、右手には錫杖(しゃくじょう)を持ち、歩いて人々を救うお地蔵さまと同じカがあることを表しています。観音さまの頭の上にある十一の顔は前・左・右の各三面と頂上や頭の後ろの表情がそれぞれ違っていて、いろいろな人の願いを聞き、救ってくださることを表わしたものといいます。金色に輝く背中の光背もいれると約12mにもなる大きな観音さまが納められたこのお堂は、とても丈の高い建物です。
 大黒堂を出てさらに奥に進むと中庭をへだてて経蔵(きょうぞう)があり
堂内には高さ2.8mの阿弥陀如来坐像(あみだにょらいぞう)がまつられています。阿弥陀如来は、西方浄土(せいほうじょうど)にいる仏さまといわれ、極楽往生(ごくらくおうじょう)を願う人々の信仰を集めました。天蓋(てんがい)という飾りの下に座った高貴な姿で、鎌倉六阿弥陀の一つです。言い伝えでは、源頼朝
(みなもとのよりとも)が42歳の厄除(やくよ)けに造らせたといわれますが、修理をしたときに、もう少し後に造られたものであることがわかりました。
 その隣の大きなお堂が観音堂です。正面入口を入ると天井には美しい花の絵が描かれ、奥に進むと、高い天井の堂内に、金色に輝く大きな十一面観音像が安置








 「かきがら稲荷」は、「観音さまのお導きがあるように」と祀られた。
ます。中に回転式の書架(しょか)(書棚)があることから輪蔵(りんぞう)とも呼ばれ、書架には仏教の全ての経典の一切経が収められています。
 この書架をー回転させることで中に収められているお経を読みとおしたとのと同じご利益があるといわれており、観音きまの縁日の毎月
18日にはだれでも回すことができます。この経蔵は江戸時代のもので八王子の大善寺(だいぜんじ)から移されました。
 前庭には仏足石(ぶっそくせき)や四天王に守られた石造の釈迦如来(しゃかにょらい)像があります。また、政治家の大野伴睦(おおのばんぼく)や俳人の高浜
虚子(たかはまきょし)の句碑や「鎌倉文士(かまくらぶんし)」の代表として知られる久米正雄(くめまさお)の胸像などもあります。久米正雄は長谷に住んだことのある作家で、幅広い文筆活動のかたわら、鎌倉町会議員も務め、「鎌倉カーニバル」など観光事業にカを入れて町の活性化を図るなど、こよなく鎌倉を愛した人






です。
 大黒堂の脇から山の上のお堂を通り経蔵の前に出る道はアジサイの名所です。

 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」
 鐘楼

 昔からの鐘は、宝物館に保管されています。
 梵鐘の銘文の「新長谷寺」は、大和長谷寺(奈良)に対するもので、創建当時から東国における「長谷観音信仰」の拠点であったことは十分に推測できる。




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