西国寺(真言宗醍醐派の大本山)
尾道市西久保町  標高:52.3m
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【民話 知恵くらべ 力くらべ】

 栗原の済法寺に、拳骨和尚と呼ばれているたいへんカの強い和尚様がいらっしやいました。
この和尚様の大力の話は、今でも人々の間に多く伝わっています。
 そんな力自慢の和尚様も知恵では、西国寺の和尚様にはかないませんでした。
 ある目のこと、拳骨和尚様が天文を占っているとお昼からにわか雨が降ると出ましたので、これはひとつ、西国寺の和尚様を困らせてやれと思いました。それで「急用ができましたので、お昼過ぎごろぜひお出でください」と
大力は知っていましたが、見るのは初めてなのでたいへん驚かれました。
「あなたのカの強いことにはまいりました。が私は知恵を持っています。あなたのカと私の知恵を合わせたならば、今まで以上に人々を助けることができると思います」と、西国寺の和尚様はおっしやいました。済法寺の和尚様も、この言葉には深くうなずかれました。
 それ以後二人の和尚様は、いっそう町の人々から親しまれ、敬われたということです。

尾道民話伝説研究会 編「尾道の民話・伝説」 (2002年5月刊)より転載
使いの者を出しました。
 それを聞かれた西国寺の和尚様は、天文を見て今日は昼からにわか雨が降ると知っていましたし、拳骨和尚様のいたずらもちゃんとよまれていましたので、小僧さんに雨具の用意をさせ、済法寺へと急ぎました。
 待ちわびていた拳骨和尚様は、
びしよぬれになって来るはずの和尚様が、ちゃんと雨具をつけていらっしゃるのでとてもくやしがりました。「あなたは本当に知恵のあるお方だ。しかし私のこのカにはかなわないでしょう」と、裏の竹やぶに行き、竹を取るや肩にたすきをかけました。
西国寺の和尚様は、かねがねこの方の






 持仏堂
 毘沙門堂、不動堂
 力石

 港で荷物の上げ下ろしに多くの人が働いていました。その人たちが力自慢をこれらの石を持ち上げて競いました。
 このあたりの海は、干潮と満潮の潮位差が3mほどあり、干潮時の荷卸しは大変だったのでしょうね。




 毘沙門堂
 毘沙門天とは、本来は仏教の護法神である四天王の一人で北方を守護する多聞天の名で知られているが、単独で祀られるときには毘沙門天の名で呼ばれる。
 七福神に仲間入りしているように、福神として開運出世、財宝金銭授与、商売繁盛などの功徳を発揮する。もともとはインド古代神話の神でヒンドゥー教
では財宝の神、仏教の経典にはさまざまな宝石で飾られた城に住んでいたとされている。
 日本では中世以降、福神として信仰される一方で、戦国時代には戦勝神としてサバイバル競争に勝ち抜こうとする武将たちには大いに崇められた。


金剛院:  持善院:  山門へ:  三重の塔へ:  大山寺へ:
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