第12代横綱 陣幕久五郎の成績は
幕内戦歴 87勝5敗17分
戊辰戦争では官軍の荷駄掛かりや、京都に上って薩摩藩主・島津忠義の護衛を担当した。
その後は東京相撲を離れ、年寄・陣幕として大阪相撲の頭取総長を務め、大阪相撲を東京相撲と同等にまで引き上げる活躍を見せた。
陣幕久五郎の手形
「うけながら 風の押す手を 柳かな」陣幕
陣幕久五郎は、幕末から明治の初めにかけ活躍した十二代横綱です。生まれは出雲ですが、力士を志し尾道の初汐久五郎の許に弟子入りしました。のちに
久五郎の婿養子となり江戸へ下り角力道に精進して十二代横綱となりました。
生涯通算幕内成績は。87勝5敗17分。その強豪ぶりは居並ぶ者もなく、人格も高潔で一度も「待った」をしなかったといわれています。
先が船の先端部のようなお墓は、船形後背(ふながたこうはい)といい、江戸時代後期から中期にかけてつくられました。夫婦墓が多いのだそうです。
江戸時代、お墓の高さが規制されていた時期があるそうです。でも「袖の下(賄賂)」で制限高さより高いお墓を作る人もいたとか。
宝篋印塔。(総高2.02m)
特別な人に対するあつい礼を示す場合に用いる、四方格隙間が見られる。
石工の里の尾道だけに、多彩な石仏達ですね。
宝篋印塔という名前は鎌倉時代から使われており、塔の中に宝篋印陀羅尼経を納めることから出たといわれています、経だけでなく、法華経や舎利を納めたというのもあります。
シンパク 推定樹齢500年