清浄山 光明寺(浄土宗)
尾道市東土堂町  標高:24.8m
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 横に枝が長く伸びた松が横たわっています。この松が龍が横たわっている姿に似ているとし、「臥龍(がりょう)の松」と呼ぶようになりました。
 昭和の初期の写真。
 2019年に寄ったときは、枯れてしまっていました。
 尾道の人は、松でさえもりっぱな石碑を作っています。
【民話 光明寺の観音様】【A】

 むかしむかしのことよ、この尾道にの、わりい(悪い)男がおってのう。光明寺の観音さまは小まい(小さい)けど、金ぴかに光っとりなさると聞いて、男はいっぺん観音さまを拝みに行こうと思うたんよ。
ほんまはその男、金ぴかが気になったんじゃけどの。
 ある日、男は光明寺にでかけたんじゃ。お寺参りの人にまじって、本堂に上がったんよ。ありがたい観音さまの前にゃあ、お供えがえっと(たくさん)してあった。
「ほんまこりゃあ、きれえな観音さまじゃ、
それに小まいのう。これならわしのふところに入れられるじゃろう」
 男はの、心の中でにんまりと笑ろうたんじゃ。 さて、ある晩のこと。男はあの観音さまをぬすんできちゃろうと思うてでかけたんよ。月もない晩じゃった。石段であっちこっちゴチンゴツンとあたりあたり、






光明寺の庭に上がった。本堂はこっちじゃったかのうと、まよいながら、やっとたどりついた。
「とびらは開くかの。かぎゅう(鍵を)かけられとったらいけんがのう」男は小まい声でぶつぶつ言うた。
「ひえー。用心がわりいのう。じゃが、わしにゃええことじゃ」
 中に入ってみたら、ありがたい観音さまは、光っていなさった。
「あああ、ありがたや、観音さま」
 男はの、観音さまを抱き上げて、いそいでふところに入れた。そしての、ゆっくりとお寺の庭を門に向こうて歩きはじめたんじゃ。
なったんじゃのうて、観音さまが重とうなったんじゃ。こりゃあ、こけえ置いといて、だれか呼んでこう」
 そう言うと、男は帰っていったんよ。
「お前、夢でも見たんか。もういっぺん本堂へ行ってみようや」
 男と仲間は、本堂へ行ってみたんよ。
 そしたらの、ちゃんと観音さまは本堂にいなさった。
「ほれみい、観音さまをぬすんだ夢でも見たんじゃろう。こんだぁ、わしが連れて帰るけえ」
 仲間の男は、そう言うと、観音さまを抱え込んだんよ。
 ところがじゃ、一歩、一歩と歩くごとに、体が重とうなってきたんじゃ。
「こりゃどうしたんじゃ、わしの体が重とうなってきょうる」
 門のそばまで来たときにゃ、もう男は立っておられんので、はうようにしての。
そのときじゃ、男のふところから観音さまが転げ出なさったんじゃ。
そしたら男の体がいっぺんにかるうなった男は急いでの、観音さまを拾おうとしたんじゃ。ところが、なんと観音さまが重たいんよ。男はさげることができん。
「こりゃ、どうしたんじゃ。わしの体が重とう












 室町時代に村上水軍の信仰を集めたお寺です。豊臣秀吉の「海上鎮圧令」により、村上水軍は回漕問屋へと生業をかえた後も、檀家としてお寺を支えました。
そして、二人して急いで門に向こうた。じゃが、ちいと歩くと重とうなったんよ、観音さまがのう。だんだん重とうなって、門のところまでくると、もう二人でも抱えられんようになってしもうた。
「ええい、しょうがない。今日はやめじゃ」
 それからはの、この観音さまは、何度連れ出さ
れそうになっても、光明寺から出られることはなかったということじゃ。観音さまはこの光明寺がお好きなんじゃと思うんよ。

尾道民話伝説研究会 編「尾道の民話・伝説」
(2002年5月刊)より転載


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