持光寺(浄土宗)
尾道市西土堂町  標高:26.5m
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 鳥羽法皇の命により、愛する御子・近衛天皇のご息災を祈願して作られた国宝・絹本著色 普賢延命像(1153年)が伝わっています。一度拝むと寿命が延びるといわれています。
【民話 持光寺の小僧さんと天狗さま】

 いつのころかずっとむかしのこと、持光寺に一人の可愛い小僧さんが京都の本山から修行にきていました。小僧さんは、毎日一生懸命修行にはげんでいましたが、遠くはなれた本山に早く帰りたいなといっも
思っていました。しかし修行の道はきびしく、小僧さんが本山に帰れる日はなかなか来ません。小僧さんは修行で疲れたときは、お寺の山にある天狗岩に上がりました。そしてそばの大きな松の木に話しました。
「松の木よ。わたしは京都の本山に帰りたい。いらっしゃると聞いておるが、天狗さまがこの松にこられ
たら、わたしの気持ちを伝えてくれまいか」
 ある月のきれいな晩のことでした。小僧さんは京都の本山のことを思い、もっと修行して一日でも早く、本山に帰ることができますようにと小さな手を合わせました。
 すると、月をかすめて何かが飛んだように見えま






した。
 小僧さんがはっとすると、自分の体がふわあっと浮き上がり、誰かに抱きかかえられて飛んでいるような気がしました。小僧さんは、びっくりしましたが、そのまま気を失ってしまいました。
 どれくらいの時間がたったのでしょうか、小僧さんは気がついてみると、なんと本山の境内を掃除しているのではありませんか。ずっと以前から何事もなかったように、本山で修行をしていたかのようにです。
 でも、尾道の持光寺では、小僧さんがいなくなったとたいへんでした。何日たっても小僧さんは帰って来ません。
旱蓮木(かんれんぼく) みずき科
 昭和天皇の喜寿(77才)の祝いに、中国から送られた中国原産の落葉高木です。
 夏に淡黄色の花を咲かせ、秋に黄緑色をした球形の集合果をつけ、果実、根、茎葉に抗癌効果があり薬用
とされています。但し、副作用が強いことから現在では使用されていない。
 又、中国では生命力が強く果実が多数成ることから子々孫々繁栄を表す喜びの木ということで、キジュ(喜寿)と呼ばれています。(看板より)


みんなは、あまりにも可愛らしい小僧さんだったので、天狗さまに連れていかれたのだと話をしていました。
 それからしばらくして、持光寺の和尚さまが京都の本山に参られました。そこで、あの小僧さんに会い、それはそれはびっくりしたそうです。


尾道民話伝説研究会 編「尾道の民話・伝説」 (2002年5月刊)より転載








 江戸後期の尾道に、日本全国に名を馳せた女流画家「平田玉蘊(ぎょくおん)」。
 平田玉蘊は天明七年(1787)、尾道の木綿問屋福岡屋の次女(長女は早世)として生まれました。
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