八菅神社
愛甲郡愛川町八菅山  標高 158.6m
木村家が作った梵鐘
 木村氏は北条氏の時代から続いた鋳物師の家系で、初めは荻野の子合において仕事を始めにが、後に宿原に移って大規模な工房を設けて活躍したといわれる。木村氏は梵鐘作りが中心だったという。
 梵鐘を作った木村家の木村五郎右衛門には、豊臣家滅亡のきっかけとなった「京都方広寺」の大梵鐘を鋳る鋳物師を全国から募集した17名のの一人だった。
 秀頼が奉納した方広寺の梵鐘の銘文の中に「国家安康」と「君臣豊楽」の文字があり、これが「徳川家康の[家]と[原]を分断し、豊臣家を君主とする意味を



持つ」ということを家康に讒言した者がいた。
 これを聞いた家康は怒り、秀頼を呼付けて鐘銘について難詰するとともに、豊臣家の国替えか秀頼もしくは淀君の江戸下向を迫った。追い詰められた秀頼は、西国の豊臣家恩顧の大名たちを頼って家康との対決を決断した。こうして慶長19年(1614)に大阪冬の陣、翌元和元年に夏の陣が起こり、家康は豊臣家を滅亡させたのであった。
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