鶴岡八幡宮
雪ノ下2丁目1−31 標高 10.1m ~ 23.7m
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 奥に本殿。
 楼門の左右にいる随神像。

 神道において、神を守る者として安置される随身姿の像。
 頼朝と西行の出会い

 西行は文治2年(1186)8月15日鎌倉の地に足を踏み入れた。西行(69歳)が鳥居の周辺を徘徊していると、参詣のため八幡宮を訪れていた頼朝が目に留めて、梶原景秀に質問させると、西行本人とわかった、頼朝は「参詣後に会いたい」と西行に伝える。
 神事が終わり、頼朝は西行を館に招き、歌道や弓馬についての話を請う。このときの状況が、『吾妻鏡』に記されている。
 西行は武道について聞かれると「兵法については、
秀郷郷以来から九代にわたりて嫡家が相承上昇してきたが、出家したときに焼いてしまった」と答えている。頼朝は兵法について興味を抱いていたので、夜遅くまで西行に問い、それを書紀に買い取らせたとも言われている。歌道については、
心が感動したとき「三十一字を作るだけ」と西行は頼朝に答えている。






 1873年4月15日 我国初めての陸軍攻防演習が鎌倉で行われた。その前日に明治天皇が鎌倉に行幸し、八幡宮裏の大臣山から閲兵したが、この事績を記した記念碑。
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