頼朝と西行の出会い
西行は文治2年(1186)8月15日鎌倉の地に足を踏み入れた。西行(69歳)が鳥居の周辺を徘徊していると、参詣のため八幡宮を訪れていた頼朝が目に留めて、梶原景秀に質問させると、西行本人とわかった、頼朝は「参詣後に会いたい」と西行に伝える。
神事が終わり、頼朝は西行を館に招き、歌道や弓馬についての話を請う。このときの状況が、『吾妻鏡』に記されている。
西行は武道について聞かれると「兵法については、
秀郷郷以来から九代にわたりて嫡家が相承上昇してきたが、出家したときに焼いてしまった」と答えている。頼朝は兵法について興味を抱いていたので、夜遅くまで西行に問い、それを書紀に買い取らせたとも言われている。歌道については、
心が感動したとき「三十一字を作るだけ」と西行は頼朝に答えている。