八幡神は、もとは九州の航海系民族の神さまで海神でした。
「八幡」は船に立てるたくさんの旗を表わす言葉でしたが、その後、大分県の宇佐八幡宮を本宮として、八幡神(応神天皇(おうじんてんのう)の神霊とされる)を祭神とするようになりました。
八幡神は、早い時代から反乱の鎮圧や仏教の保護などに霊験を示して各地への広まりをみせます。九世紀なかばには、のちに東国平定などに武勲を示す源義家(みなもとのよしいえ)が石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)で
八幡神社や稲荷神社など、同じ名前の神社が多いのは、なぜでしょうか?
それは、神さまが分身の術を使えるから。神さまは分祀されても、霊験が落ちることはありません。だから、人気のある神さまはどんどん数が増えるのです。
元服の儀式を行ない「八幡太郎」と称しました。
その後、源氏の勢力拡大にともなって、八幡信仰も各地へと広がっていきました。