浄土宗大本山。詳しくは天照山蓮華院光明寺。開基は北条経時、開山は記主禅師然阿良忠。仁治元年(1240)鎌倉に入った良忠のため、経時が佐助ヶ谷に一寺を開き蓮華寺と名づけたが、のち同寺を現在地に移し、寺名も光明寺と改めたと伝える。移建・改名などの時期については寛元元年(1243)とする記録もみられるものの確証はない。また、良忠のために大仏朝直が開創した佐助ケ谷の悟真寺が蓮華寺と改名、さらに光明寺に発展したと考える説もある。明応四年(1495)、後土御門天皇は当寺を勅願寺とした。
第八世観誉祐崇に帰依したためであり、殿修の式を永世光明寺で行うことと十夜念仏の法要実施も勅許した。いま観誉祐崇は中興開山としている。その後一時衰えたらしいが、江戸時代、徳川家康が浄土宗学問所関東十八檀林を定めた際、第一位となり、大きく栄えた。現在の伽藍は本堂・開山堂・大聖闇・書院・
方丈・鐘楼・客寮・庫裡・山門・総門等々から成り、寺域も広大で市内屈指の大寺院である。山門は鶴岡八幡宮の表門を移建したものという。
(「鎌倉事典」白井永二 編より)