明月院の由緒を述べますと、当寺は北条時頼公の墓といわれる宝笹印塔があることでもわかるように、北条氏執権第五代の最明寺入道時頼の仏道修行の小堂がはじめであります。名君時頼を記念して時宗は禅興寺を建て、後に廃寺となったが、その名残りのたった一つの塔頭が明月院なのです。
さすが由緒ある古い寺、上杉重房木像、北条時頼塑像という名彫刻を持ち、古都鎌倉の伝統を脈々と伝えているのです。
(「鎌倉 趣味の史跡めぐり」長峰五幸著より)
北条時頼公墓所。
北条時頼は出家し、最明寺殿と呼ばれていましたが、実降には権力を手中に握っていました。そして、全国をお忍びで歩き回ったといわれています。
謡曲『鉢の木』は、もっとも有な時頼伝説ですが、そのほかにも、多くの伝説が謡曲という形で今日に伝えられています。
茶室月笑軒。
総門に戻り、玉澗橋(ぎょくかんばし)を渡って北側の小道を行くと茶室があり、その先に屋根が美し宝形造(ほうぎょうづくり)の北条時頼をまつるお堂があり、その左奥に少し崩れていますが、時頼の墓といわれる宝箇印塔があります。
鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より