大乗山 薬王寺(日蓮宗)
鎌倉市扇ガ谷3-5-1  標高:24.1m
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ています。
 山口県下関のあたりの海で、魚がとれなくなった時期がありました。漁師達が、赤間ヶ淵(あかまがふち)と呼ばれるとても深いところに網を入れてみると、高さが17cmほどの小さな釈迦如来像が網にかかりました。その像は、背中に刻まれた文字から、中国の唐の時代の645年に作られた金銅製の珍しいものだったので、領主の原田氏は、どこへ行くにも持ち歩くほど大切にしていたということです。原田氏は、薬王寺を再興(さいこう)した日達(にったつ)を崇拝していましたので、日達が薬王寺に入ったときにこの像を
 墓地の中央付近の山際に、高さ3m余りもある大きな宝篋印塔(ほうきょういんとう)が2基並んでいます。これは、会津若松の蒲生氏郷(がもううじさと)の孫で、四国の松山城主だった蒲生忠知の妻と娘が元禄年問(1688年~1704年)に死亡し、ここに埋葬された時に建てられたものです。

 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
寄進したということです。その後、この像は2回も盗難にあったので、寺では代わりの釈迦如来像を造って釈迦堂にまつり、砂金で造られた釈迦像は本堂にまつるようにしたのだそうです。
 この釈迦堂の裏に、大きなやぐらがあります。不思議なことに、このやぐら内の地面に直接置いた
石像は、どんな材質のものでもだんだんとけていくのだそうです。現在、やぐらの入口近くに4体の石像が並んでいますが、どれも像の輪郭がわからないくらいにとけています。このあたりは海底が隆起(りゅうき)したところなので、塩分の影響が大きいのではないかと考えられています。






     観音堂(本来は釈迦堂)

観世音(観音)菩薩とは
 「観世音」は「世の音を観(み)ろ」とも読めるところから「世の人々の声をはっきり見極める方」と言われ、私たちの願いを聞き、救済するために三十三身
に化身すると経典に説かれています。
 観音さまが大きな慈悲のお心で、それぞれの人に合わせて三十三のお姿に変化され、救いの手を差し伸べて願いをかなえてくださるのも、それを手だてとしてすべての人々を佛さまの道に導こうと願われてるからに他なりません。(案内板より)




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