国の史跡に指定されている亀ケ谷坂(かめがやつざか)の切通になります。鎌倉七切通の一つで、これを越えると長寿寺(ちょうじゅじ)の脇(わき)を通ってバス道路に出ます。
亀ヶ谷坂の上リロの右側に、明治時代に日蓮の研究をして高山樗牛(ちょぎゅう)に影響を与えた田中智学(ちがく)の「師子王文庫(ししおうぶんこ)」があり、その石碑が立っています。
この切通のあたりは北側が山ですが、南側は開けていて湿地が多いので、蛇や亀がたくさんいたところだったともいわれます。
亀ヶ谷は今でも急な坂道ですが、昔はもっと急な坂だったようです。あるとき、建長寺(けんちょうじ)の大覚池にいた亀が、「たまにはこの世を見てみたい。」と思ってこの坂を上って行きましたが、頂上まで行くことができずに引き返して来たことから、亀返坂(かめかえりざか)といわれるようになり、それがいつのころからか亀ヶ谷坂となったという話が伝わっています。
鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より