御霊神社(権五郎神社)
鎌倉市坂ノ下4-9  標高 出発:10.2m
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 社殿に向かって右側には小さな社(やしろ)がたくさんあります。石上(いしがみ)神社・地(じ)神社・金比羅(こんぴら)社・御撤(みたけ)社・第六空(だいろくてん)社・祖霊(それい)社などです。また、宝物館の向かいの参道の左側には、秋葉(あきば)神社・稲荷社(いなりしゃ)があります。御獄社の右奥には庚申塔(こうしんとう)が並んでいます。
 庚申塔はもともと村の入口の道路にあるもので、村の境を守る神として、人里に悪人が来ないように、疫病(えきびょう)が入らないようにと祈ったものです。
石上神社です。この石は坂ノ下の前浜(まえはま)の海中にあったものを士地の人が引きあげ、二つに割った上部を御霊神社の境内におまつりしたといわれています。
 昔、坂ノ下前浜に船が数多く出入りしていたころ、沖に大きな岩石が突き出ていました。満潮時には海中にかくれ、たびたび船が乗り上げて沈み、人命を奪わ)れることがありました。これを海神の怒りと考え、祠(ほこらを建てて石上神社とし、海神の霊をまつったといわれています。
 7月25日が祭礼日とされ、土地の若者が赤飯を持って泳いで海中に残っている
 袂石(たもといし)、手玉石(てだまいし)

 御祭神影正公が手玉に取り、袂に入れたと伝えられる。公の人知を超えた霊才を示す重量の石、石は神霊を宿す神の依代と考えられている。
 庚申の日に寝ると、その人の罪が天の神に告げられく、寿命が縮められるというので、ー晩中寝ないで夜を明かそうという信仰がありました。鎌倉の西の端にあるこれらは、町が大きくなり、道幅を広げるときに境内に移したものです。庚申塔としては古い「延宝元年」(1673年)の年号があるものや、「文政八年」
(1825年)の年号があり、3匹の猿がめでたい踊りをしている珍しいものもあります。
 石上(いしがみ)神社
 御霊(ごりょう)神社の社殿の右側の小さい石鳥居の正面に、大きな石を背後に安置した小さな社(やしろ)があります。「石上さま」と呼ばれている








 秋葉神社
 秋葉神社は火伏の神として全国に約四百社あり、総本宮は静岡県にある秋葉山本宮秋葉神社。祭神は火を司る火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)で、伊弉諾(いざなぎ)、伊弉冉(いざなみ)の子供です。
 石上神社
 御嶽神社
岩の部分までいき、供え物を海神にささげる「御供(ごく)流し」を行っていました。以前は、この祭りがすまなければ海水浴をしてはいけないといわれ、今の「海開き」にあたる行事となっていたようです。
 今は、7月の「海の日」に行い、飾り舟に神輿(みこし)と神主をのせた漁船が、他の漁船に守られ、
供え物を持って泳ぐ若者といっしょに渡ります。沖合約2kmの岩の場所まで行き、海上の安全祈願をして戻ります。海岸では「鎌倉ばやし」を鳴らしてその様子を見守っています。
 階段下の手前右側に宝物館があり、面掛行列(めんかけぎょうれつ)のときに十人衆がつけていた
仮面が保存されています。これは江戸時代から使われたもので「明和五年」(1768年)の年号がついたものがあります。伎楽(ぎがく)や舞楽(ぶがく)・田楽(でんがく)などに使われるような面です。伎楽は、飛鳥時代に大陸から伝わった音楽で、舞には頭の後まですっぽりかぶる個性的な表情の面をつけました。






 この仮面の中に、頭の長い「福禄寿(ふくろくじゅ)」があるので、これにちなんで福禄寿をまつり、鎌倉・江ノ島七福神の一つに数えられています。幸福と財産と寿命とおめでたいものをすべて授ける神として信仰されています。社務所に頼めば拝観できます。
 面掛行列(めんかけぎょうれつ)は、権五郎影正(ごんごろうかげまさ)の命日は9月18日といわれ、御霊(ごりょう)神社の祭礼日と定めています。例祭は12日から行われますが、18日には県の無形民俗文化財に指定されている「面掛行列」が催され、爺(じい)・
ぐさをしながらねり歩くこの行事は広く知られています。子孫繁栄や幸せを招くという意味をもつこの行事は豊作を祝うという願いにも通じるものと考えられています。
 鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)の例祭の行列に、音楽を演奏する楽人(がくじん)とともに「面掛十人」が加わっていたことが、江戸時代後期の記録に示されています。その後、面掛行列として御霊神社の祭礼で行われてきました。

 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
 御嶽山(おんたけさん)

長野県の御嶽神社の主神三神を祀る。
ご神徳は殖産興業。
ひょっとこ・福禄寿(ふくじゅろく)・おかめ・鬼・鼻長(はななが)・異形(いぎょう).翁(おきな)・烏天狗(からすてんぐ)・女の10人が伎楽(ぎがく)や舞楽(ぶがく)に使われるような仮面をつけて神輿(みこし)の前をねり歩きます。このうちの福禄寿は江ノ島・鎌倉七福神の一つでもあり、お正月には参拝者が多く
おとずれます。行列には一人だけおかめの面をつけ美しい着物を着た女性の姿をした人がいます。お腹をふくらませて子どもをやどしたかっこうをしています。すぐ後ろに天冠(てんかん)というか冠(かんむり)をつけた女性が扇子であおぎながらついていきます。いろいろなお面をつけておもしろいし












 庚申塔

 庚申信仰は、中国から入り、江戸時代に平安時代に庶民の間に広まった。
 人間の体内には三尸(さんし)と呼ばれる三匹の虫がおり、庚申の日になると、人が眠っている間に体外に抜け出し、天に昇って、その人の罪悪を天帝に告げ、早死にさせるといわれていた。眠らずにいれば、三尸は天に昇れない。そこで昔の人々は庚申の日には神々を祀(まつ)り、酒盛りなどをして夜を徹した。
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