星ノ井(星月ノ井)
「星月井」の史跡案内の石碑があります。これが鎌倉十井(じっせい)の一つ、「星ノ井」です「星月夜ノ井(ほしづきよのい)」または「星月ノ井」ともいいます。井戸の上にふたがしてあり、中は見ることはできませんし、水も汲めません。
昔の旅人が極楽寺坂を越えた後、この井戸水を飲み、一休みしたようすがうかがえます。水道が普及するまではこの水はよく使われ、道行く人に売られたそうです。
このあたりは昔、昼なお暗く山深い所で、この星ノ井の中をのぞくと昼でも星が輝いて見えたことからこの名がついたといわれています。
鎌倉を詠(よ)む歌の枕ことばに「星月夜」ということばを使いますがこの井戸の名は、この谷の名を星月夜ヶ谷といったことからとったものでしょう。
われひとり かまくら山を こえゆけば 星月夜こそ うれしかりけれ
この歌は平安時代の歌で、以前歌碑が立てられていました。また、室町時代の書物には、極楽寺へ行く途中に、「星月夜」とか、「星御堂(ほしみどう)」(虚空蔵堂(こくうぞうどう))があることが書かれていて、「星月夜」ということばが使われていたことがわかります。
鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
【星ノ井】
星の井にっいては次のような伝説があります。
奈良時代に行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が全国を修行して歩いたとき、ここで虚空蔵をまつる法を行いました。するとこの井戸に三つの明星空蔵さまがこの石になっておられるのだろう。世の人に信心を起こさせようとされたのだと考えました。この話が聖武(しょうむ)天皇の耳に入り、行基に虚空蔵菩薩の像を彫ってこの寺に本尊としてまつるようにという指図があったと伝えられています。その後、井戸の中に明星は(みょうじょう)が輝き、ちょうど鏡の
星ノ井
石段を登ると、虚空蔵堂です。
ようでした。しかもそれが7日も続いたのです。行基はその光を見て、珍しいものが入っているにちがいないと思い、土地の人々を集めて井戸の水を汲み出させました。
すると井戸の底から珍しい形をした石が出てきました。行基は、これは虚見えなくなったそうです。
また、近所の女の人が井戸水を汲もうとして、包了を落としてしまったところ、星は輝かなくなったとも伝えられています。
鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より