尾道港(住吉浜)
嘉応元(1169)年、「後白河院庁公認の港」となった尾道港は、市街地背後にある浄土寺山、西国寺山、千光寺山と対岸の向島に囲まれた「自然の良港」でした。
江戸時代、この地方を治めていた芸州藩では、政治は広島、台所(財政)と文化は尾道、と謡われ、ここ住吉浜は北前船など多くの船舶の寄港で賑わっていました。
江戸中期、その船舶の輻轃に伴って、住吉浜の修築工事が、藩の直轄事業として行われ、以来、近代まで 尾道港の中心的役割を果たしてきました。
幾多の歴史を刻んできた住吉浜の痕跡を目前の「雁木」等の港湾施設の中にみる事ができます。
近代、この住吉浜は瀬戸内海の島嶼部はもとより、 阪神、九州から遠く北海道までの物資輸送基地となり、また、近隣諸国との貿易を行う国際港となって、入港する船舶は「順番待ち」をしたほどです。
また、夜船で広島に帰る頼山陽はここで豪商達と別れの盃を汲み、梁川星巌夫婦は長崎からの帰り、尾道で長旅の疲れを癒しました。
北前船が寄港すると浜は沸き返るようでした。