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小野篁(平安時代初期の公卿・文人)は嘉祥二年(849)、熱病で意識を失って地獄に行き、そこで一人の僧が責苦に苛まれ苦しむ人々を救っているのを見た。僧は「私は地蔵菩薩である」と名乗り「六道の迷いの世界を巡りながら縁ある人々を救っているが、縁のない人を救うことはできず残念だ。貴方はこの地獄の有様と地蔵菩薩のことを人々に知らせてほしい」と語った。それを聞いて蘇った篁は、一本の桜の木で六体の地蔵菩薩像を刻んで大善寺の地に納めたことから、ここを六地蔵と呼ぶようになり、この話が庶民に地蔵信仰を広めたという。