千光寺(真言宗)
尾道市東土堂町  標高:96.6m
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の鏡岩に反射してのう、海を照らして遠くの島へ行き交う船の安全を見守っていたんよ。
 ある月の細い晩じやった。
 この尾道水道に一そうの船が入ってきたんじや。
「うわあ、光っている。ほんとうによく光る玉だ。海まで明るくなっている」
「早く、あの玉をゆずってもらいに行こう」
 そう言うと船乗たちは船を急がせたんよ。
 そして船を下りると、けわしい山道をのぼって岩までやってきたんじや。
「なんと大きな岩だ。これは岩ごと持って帰られそうもない。玉だけなん
と船の安全を見守ってここに立っていなさる神さまの岩じや。だれにも渡すことはできん」
 和尚さんははっきりとおことわりになったんじや。
 じゃけどの、船乗りたちは、どうしてもその光る玉がほしかったんじゃろうのう。岩の上の玉だけは、なんとかして取っちゃろうと考えたんよ。
 そして夜になるのを待って岩にはしごをかけての、コッチン、コッチンと削りはじめたんよ。ほいでとうとうてつぺんから玉を切り取ってしもうたんじや。
 船乗りたちは、
「おお、光ってる、さあ急いで国へもち帰ろう」
 そう言うと、船に急い
 千光寺の玉の岩の解説に、「宝珠岩(ほうじゅいわ)又は烏帽子岩(えぼしいわ)とも言う。「昔、岩上宝玉(ほうぎょく)あり 遥(はる)かに海上を照らす故(ゆえ)にこの名あり 尾道を古来(こらい)玉の浦と言い 山を大宝山 寺を千光寺と言う 亦是(またこれ)に由(よ)ると言う」と案内に書かれています。
とか取りたいものだ」
「とにかく、寺の和尚さんにゆずってもらうように頼んでみよう」
 次の日、船乗りたちはお寺に出かけたんじや。むかしはお寺も小さく、和尚さんが一人住んでおられただけじやったたんよ。
「実は、私どもは遠い国から、このめずらしい光る玉をもとめてやってきたものです。お金は十分用意しています。どうカこの玉ををゆずってくれませんか」
 船乗りたちは、和尚さんにたのんだんじや。
「とんでもないことじや、この玉はの、町の宝じや。見てみい、よう光りようろう。この岩と玉はの、海








 河東碧梧桐(かわひがし へきごとう)

 正岡子規に学び、高浜虚子とともにニ俊秀と称された俳人。ジャーナリスト、登山家としても活躍した。
 石段を登ると、護摩堂
だんよ。でもの、あんまり急いだもんじゃけえ、玉は船乗りの手から転げ落ちたんじや。ころころと坂道をころげて、海へ落ちてしもうた。そうしての、深い海に沈んでしもうたのじや。それからのち、てつぺんを削られた大岩はの、光る玉がのうなって真つ暗じや。和尚さんも町の人も船もみんな困った。そこで夜に
なると、大岩の上で火を焚くことにしたんじや。尾道の港に出入りする船のためにのう。
 それが、今はほらあのとおり、電気で三色にかがやく玉が岩につけられての、人々を楽しませてくれとるんよ。
 光る玉が、海に落ちたということで、尾道のこと
を「玉の浦」といい、宝ものの光る玉があったんで、山を「大宝山」、寺を「千光寺」というようになったんよ。

 尾道民話伝説研究会 編「尾道の民話・伝説」 (2002年5月刊)より転載




 種子

 一字で諸尊像を表現する梵字で 種子の内には、諸尊の尊い教えが込められているといいます。




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