大広間の障子を開け放して見る景色は、窓枠がちょうど額となり、絵を見ているようです。
客殿に『対潮楼』の名が贈られたのはこの時です。
(「鞆に見る歴史のロマン」より 福山の歴史産業観光研究会)
こぼれ話
延享5年(1748年)4月、第10回朝鮮通信使が江戸幕府への参上の途中に鞆へ到着した際、彼らは激怒しました。日本の接待役が、三使の宿所を対潮楼の客殿にする慣例を知らなかったため、楽しみに
していた福禅寺ではなく、寺町の阿彌陀寺を宿所としたからです。一行は、福禅寺以外での宿泊を拒否します。船上で一泊した後、翌朝早く船を出してしまいました。
一方、復路では、福禅寺に泊まることができたので、通信使一行は大変上機嫌であったそうです。