福善寺対潮楼
福山市鞆町鞆  標高:12.7m
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 大広間の障子を開け放して見る景色は、窓枠がちょうど額となり、絵を見ているようです。












客殿に『対潮楼』の名が贈られたのはこの時です。

(「鞆に見る歴史のロマン」より 福山の歴史産業観光研究会)
こぼれ話

 延享5年(1748年)4月、第10回朝鮮通信使が江戸幕府への参上の途中に鞆へ到着した際、彼らは激怒しました。日本の接待役が、三使の宿所を対潮楼の客殿にする慣例を知らなかったため、楽しみに
していた福禅寺ではなく、寺町の阿彌陀寺を宿所としたからです。一行は、福禅寺以外での宿泊を拒否します。船上で一泊した後、翌朝早く船を出してしまいました。
 一方、復路では、福禅寺に泊まることができたので、通信使一行は大変上機嫌であったそうです。










 分かりにくいのですが、手前に見えるのが「弁天島(べんてんじま)」とその奥にある「仙酔島(せんすいじま)」。
 弁天島には、ランドマークになっている朱塗りのお堂があり、漁師たちの守り神である弁財天が祭られています。また、仙酔島も外周5kmほどの小さな島。小さいながらも美しい景勝を誇り、「仙人も酔ってしまうほど美しさ」という意味が込められているそうです。
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