左
下
段
へ
(右折後)真っ直ぐ。
【ささやき橋】
「ささやき橋の伝説」
応神天皇のころ、百済よりの使節の接待役・武内臣和多利と官妓(かんぎ)・江の浦は、
静観寺の山門の前右に「山中鹿之助首塚」があります。
戦国時代の終わり、毛利氏に滅ぼされた出雲の尼子(あまご)氏の家臣・山中鹿之助は、お家の再興を願い挙兵したのです。けれども天正6年(1578)、岡山県
役目を忘れ夜毎この橋で恋を語り合っていました。それが噂になり二人は海に沈められました。それから、秘語(ささやき)の橋と語り継がれています。
の高梁川阿井の渡で討たれてしまい、備中松山城(岡山県高梁市)に在陣していた毛利輝元に首実検をされました。
その後、鞆城へ送られて室町幕府最後の将軍・足利義昭にも首実検をされ、首塚の近くに埋葬されました。