父)が、鞆港で病死した琉球使節の楽師・向生七回忌の供養に小松寺訪れ、「容顔如見(ようがんみるごとし)」の扁額を奉納。
昭和二十九(1954)年、国の天然記念物の見事な巨大・松は、台風により倒伏した。
シーボルトもその松之図(版画)を収集している。
竹原に、京都の清水寺を模して造った普明閣で知られている西方寺があり、本尊は十一面観音で、広島県の重要文化財。ですが、これは“秘仏”とされています。この寺の文書によれば、
この観音像はもともと鞆の小松寺の本尊で、戦乱が鞆に迫ってきたので、住職が本尊を背負って竹原へ逃れてきたと書かれています。そこで三原城主、小早川隆景が普明閣を建立して、十一面観音を安置したという。
瀬戸内の要港にある古刹であり、要港であったがため、戦乱に巻き込まれ栄衰していった小松寺の歴史である。