淀媛神社からの景色は、遮るものがなく、のんびりとした瀬戸内の景色ですね。
(ただし、船乗りにとっては、南風が吹くと現代のエンジン付の船でも、港に入るにはかなりの難しさがあるとのことです。)
明神山と呼ばれる高台に位置し、境内から鞆の港が一望できる。
眺めは最高で、江戸時代の歴史家・頼山陽が褒めたたえたとか。
[神功皇后と竜宮城の秘密]
北部九州を代表する神社・宗像大社には、神功皇后をめぐる、次のような伝承が残されている。
北部九州に遠征し、さらに朝鮮半島に攻め込もうとした神功皇后は、竜宮城の海神に妹(淀媛命?)を
差し向け、
「その昔海神と私(神功皇后)が親子だったよしみ」で協力してほしいと頼み、呪術に用いる[玉]をもらい受けた、という。この伝承とむかし話しの「竜宮城」の話しは関連があるのでしょうか?
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第14代.仲哀天皇の妻・神功皇后は、明治期に最初の紙幣に印刷された伝説の女傑である。熊襲(くまそ)を討つため、筑紫を訪れていた天皇は、神功阜后に神がかりをさせて神の託宣を得ることにした。ところがその託宣の内容は、熊襲ではなく海の向こうを攻めるようにというもの。信じなかった天皇は
神の怒りにより命を落としてしまう。
そこで神功皇后は神託に従い、あらためて新羅を攻めることにした。神の助けを得た皇后の軍船は、魚たちに背負われあっという聞に新羅の国へ。その圧倒的な力に新羅の王は服従を誓ったという。
このとき神功皇后のおなかには.子が
宿っており、戦いのときに生まれそうになってしまった。そこで皇后は石でおなかを押さえ、出産を遅らせたという。鎮懐石(ちんかいせき)といわれたその石は、福岡の鎮懐石八幡宮などに伝わり、安産が願われている。勇ましいイメージだが母神としても信仰される。