真言宗 医王寺
福山市鞆町後地  標高:39.7
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 鐘楼は1642年(寛永19年)福山藩主水野勝成の建立。
(水野勝成は1619年、備後10万石の領主となって福山と命名。現在地に福山城を築き、芦田川河口のデルタを開拓、治水工事とともに城下町として整備した人。)



下の写真の石碑は

 大伴旅人(おおとものたび)「鞆の浦亡妻挽歌」三首の内の一首
万葉集巻3ー448番歌

 天平二年(730)十二月、大宰府の長官だった大伴旅人は、大納言兼任となって都に上る途中、
「鞆の浦のむろの木」を詠った三首の歌を残した。その三首目がこの歌で、他の二首の歌碑は対潮楼の星下と歴史民俗資料館の前庭に建っている。
   




「磯の上にしっかり根を張って立つむろの木よ。大宰府へ下る時、私は妻や息子といっしょにお前を見たのだ。しかし、その妻はもうこの世にはいない。私の愛する妻が今どこにいるのか尋ねたら、お前は私に教えてくれるだろうか。」
 こう、むろの木に問いかける旅人は、神亀五年
(728)の初め大宰府に下ったが、まもなく妻を亡くし悲嘆にくれた。一方、奈良の都では、翌神亀六年二月の長屋王の変によって、光明皇后が誕生し、藤原氏の全盛時代を迎えようとしていた。
 子息 家持を伴い、亡き妻の思いを胸に帰京した旅人は、翌天平三年(731)七月、萩の花を気に

かけながら、静かに67年の生涯を閉じた。
 (案内板 2010年4月27日 鞆の浦ロータリークラブ創立四十周年記念より)




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