本堂跡地に建つ 一遍の銅像。
本堂は1893年の大火で焼失。
「一遍に気が楽になる」という言葉があります。一遍と関係があるのでしょうか?
一遍智真は「心に妄念を起すべからず」[語録]といっている。
妄念が起こると月の光をさえぎってしまう。人生は妄念を払う修行の一生ではないのか、と。
鎌倉時代の僧:一遍上人は
「捨聖(すてひじり)」の別名で呼ばれることがあるほど、徹底して「捨」を説いたことで知られます。
一遍上人は「ものを捨てよ」という次元を超えて、「知恵をも愚痴をも捨て、善悪の境界をも捨て、貴賎高下(きせんこうげ)の道理をも捨て、地獄をおそるる心をも捨て、極楽を願う心をも捨て、また、諸宗の悟りをも捨て、一切の事を捨てて……」ということを説かれましたが、この教えを仏教詩人:坂村真民(しんみん)は『捨ての一手』の詩で、
御影の池。
一遍上人が自らの姿をこの池に映して、その姿を木像に刻まれたと伝えられる。
もう少し分かりやすくまとめています。
「天才でない者は 捨ての一手で 生きていけばよい 雑事を捨てろ 雑念を捨てろ」
真民には「軽くなろう、軽くなろう、軽くなろう、重いものはみんな捨てて、軽くなろう……」という『軽くなろう』の詩もあります。