応神天皇(八幡神)を祀る神社といえば、九州の宇佐神宮が名高い。九州の宇佐神宮の伝承によれば、八幡神は、はじめ「三歳」の童子で、竹の葉の上に出現したという。いわゆる「小さ子」の異常生誕に通じるのだが、一般には、この宇佐の八幡神と応神天皇は、同一ではない、と考えられている。
もともとは宇佐の土着の神に過ぎなかった八幡神が、のちに応神天皇に重ねられた、というのだ。つまり、宇佐神宮の主祭神に誉田別命(ほむたわけのみこと)(応神天皇)と大帯姫(おおたらしひめ)(神功皇后)が選ばれたのは、
後世の付会だったというのである。しかし、はたしてこれは本当なのだろうか。神功皇后と子の誉田別という「名」が八世紀の『日本書紀』の中で創作されたとしても、それ以前、二人が宇佐とまったく関わりがなかったかというと、むしろ答えは逆なのではないかと私は考えている。つまり、神功皇后と応神天皇の
モデルとなった実在の母子に対する信仰がまず宇佐に起き、『日本書紀』成立後、祭神を『日本書紀』にあわせ、誉田別命と大帯姫としたのではなかったか。そう思うひとつの理由は、宇佐と住吉が、不思議なつながりをみせているからである。
八幡神は、早い時代から反乱の鎮圧や仏教の保護などに霊験を示して各地への広まりをみせます。また「ツキを呼ぶ神様」としても登場しています。
全国の八幡様を祀る神社の数は三万とも四万ともいわれています。
八幡神社など、同じ名前の神社が多いのは、
なぜでしょうか?
それは、神さまが分身の術を使えるから。
神さまは分祀されても、霊験が落ちることはありません。だから、人気のある神さまはどんどん数が増えるのです。