荻野神社
厚木市上荻野  標高 76.6m
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 神社の方のお話ですと、今でも季節が来るとフクロウの声が聞こえるそうです。
御神木の銀杏の木

 この御神木が一番早く紅葉するそうです。
荻野神社のイチョウ(市指定天然記念物)

 荻野神社の社殿の西側約5mのところにあり、樹齢約600年推定され、高さ約30mもある大木です。古くから御神木として扱われ、多くの天災に遭遇しながらも生き続けています。
イチョウを中心として、杉・欅其の他負けず劣らず大古木で一大高森を構成している。御神木の大公孫樹は、周囲二丈もある大木で、根本より十何本の小幹を並立させて、此の森の中央に突立って居るが、中間は十間位の所で折れて中は大なる空洞で、蛇や梟(ふくろう)の唯ーの陰れ家となっています。






 イチョウは、落雷のために地上13mの位置で折れ、再び成育しました。主幹内は空洞を形成その外周からひこばえが成長して、目通りで10mを越える樹木に成長しています。
 「愛甲郡制誌」には、「境内約七百坪で、何百年経たか知れない御神木の公孫樹(いちょう)が繁
っている。」と記録されています。現在は、近くに民家が開け、交通量も多いためか、動物の姿はあまり見かけられません。
 「文化財散策ガイドあつぎ」(厚木市教育委員会発行)より



 荻野の俳人・蟹殿洞々は、明和4年(1767)に上荻野村に生まれた。俳人の五柏園丈水に師事したが、丈水の没後は嶋立麾系の俳人たちと親交を結んだ。 五柏園社中の句集「猿墳集」には、初めの俳号の“陶々”の名で「きのふよりけふより明日のさくら哉」の句が載っている。
 荻野神社の境内に遺されている洞々の句碑は、昭和61年に洞々の子孫の方々により建立されたものである。
 自由奔放に活動し続けた洞々は、天保6年(1835)に69歳で没している。(「石が伝える厚木の郷土史」製作:澤田五十二より)
 句碑  「蟹殿洞々(かにどのとうとう)」作

 「大空は 蓋ふたも實ももなし ほととぎす 」 洞々 … 上荻野村の生まれで、本名は高橋市郎兵衛
「麦青き風の外なる山の星」の句碑

 柳田湘江、厚木市中荻野出身。臼田亜浪、大野林火に師事。
 俳句は、老年期まで創造力が持続する。

 その理由は、短い文章で完成させることができるということが大きな要素なのでしょう。
 また、老年期に達するまでに自分の世界観や人生の理解度はすでに確立されており、その抽象的な
ものを背景に置きつつ、具象化した文章世界を描き出すという俳句の創造性が老年期に適しているのでしょう。


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