黒地蔵は、亡者が火炎地獄に苦しむ様を軽くしようとして、自ら火にくすぼって誓願をする姿です。この黒地蔵について面白い伝説があります。
このお堂に盗賊が押し入った時のことです。盗賊は、堂守を切って金銭を奪いました。堂守は切られたと直感して気を失いましたが、気付いたときに何の異状もありません。
「やれやれ助がった。地蔵様のおかげだ」
と礼拝して、ふと見上げれば、像に刀傷がありました。これを伝え聞いた人達は、「身代わり地蔵」と名付けて、ますます信仰を深めました。
黒地蔵と白地蔵(小鮎地区)
飯山の金剛寺に安置されている黒地蔵は、蘇倉時代の作で、神奈川県指定重要文化財です。途中の庫裡橋の所を橋揚といって、昔は黒地蔵と白地蔵の堂宇が側にありました。現在は白地蔵がありません。
次
頁
へ
最近はすっかり修復されています。
白地蔵は、幕末期に、俳譜の法師・都(つ)布(ぶ)年(ね)が堂守をしていました。都布年法師は、子どもに手習いを教えました。夜は村人を集め、俳譜の手ほどきをしました。法師の三年忌に弟子達が建てた句碑が竜蔵神社の境内に現存しています。
白地蔵の姿は小型で白く塗られ、明治の初めまでありました。この像には子どもの守りの願いが込められていて、願いが叶ったとき、米の粉を掛けたと伝えています。黒地蔵については、墨汗をかけたと伝える所があります。
【出典】『あつぎ子ども風土記』『新編厚木郷土誌 全』