金龍山 釈満院円頓 寶(宝)戒寺(天台宗)
鎌倉市小町3-5-22 標高:11.0m
現在の教科書では聖徳太子の存在感は薄くなり、聖徳太子は一人ですべての政策を決定しうるような存在ではなかったと伝えています。
ある教科書では「聖徳太子は蘇我馬子と協力しながら、天皇を中心とする政治制度を整えようとした」と蘇我馬子の名前を挙げています。
蘇我馬子は推古天皇を含め四代の天皇に仕えた敏腕政治家。推古天皇が即位した当時は大臣(おおかみ)の職務に就いていましたから、蘇我馬子の発言力はきわめて強かったと考えられます。
奥に「聖徳太子堂」
聖徳太子の業績については『日本書紀』に詳しく記されていますが、それが太子の実在を証明するものにはならず、創作された人物である可能性が高いといいます。たとえば、小野妹子の隋への派遣や冠位十二階の制定などの事実は中国側の史料である『階書』などにも記されていますが、そこには聖徳太子の名がまったく出てきません。
聖徳太子堂
梵鐘
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