金龍山 釈満院円頓 寶(宝)戒寺(天台宗)
鎌倉市小町3-5-22 標高:11.0m
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 正面には大きな本堂があり、本尊は地蔵菩薩像(国重文)で、子育経読地蔵(こそだてきょうよみじぞう)という名で親しまれています。関東大震災のとき像の中から出てきた記録から、京都の三条法印憲円(さんじょうほういんけんえん)という仏師が、「貞治四年」(1365年)に造ったものとわかりました。
 脇の帝釈天像(たいしゃくてんぞう)・梵天像(ぼんてんぞうも、ともに同じころに造られたものと思われます。その前には十王像(じゅうおうぞう)、右の部屋には闇魔大王像(えんまだいおうぞう)、左の部屋には
 大衆の救世主 釈迦がこの世を去ってから弥勒菩薩が現れるまで五十六億七千万年あり、この間は如来のいない無仏時代となります。その時代に人々を救済するよう、釈迦が頼んだ相手が地蔵菩薩です。この菩薩はとくに庶民に親しまれ、平安時代の『今昔物語集』には何度も登場し、身代わり地蔵やとげぬき地蔵、子安地蔵など、多様な地蔵が作られました。
 本尊の地蔵菩薩は、あの世(冥界)とこの世(現世)の境に立ってあまねく衆生を守護救済するとされています。
 鎌倉・室町時代には、武士の間で「勝軍」の縁起をかつぐ信仰が強く、その代表格である足利尊氏が地蔵菩薩に帰依したことから、多くの武将が崇敬するようになったといわれています。
不動明王像(ふどうみょうおうぞう)・准胝観音像(じゅんていかんのんぞう)・毘沙門天像(びしゃもんてんぞう)(鎌倉・江の島七福神)が安置されています。
 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より



 本尊は子育経読地蔵として信仰される地蔵菩薩坐像、脇侍の「梵天立像」や「帝釈天立像」。




 北条高時公を徳嵩(とくそう)大権現としてお祀りしています。

 後醍醐天皇が「徳崇大権現」という贈名をした。 「徳」という文字は、非業の死を遂げた者に贈られる文字。 怨霊を収めて祈る畏怖の念が込められている。
徳嵩大権現堂
 毎年、5月22日の徳祟大権現会では、高時像を本堂に迎え「大般若経転読会」が行われる。 5月22日は、新田義貞の鎌倉攻めによって北条一族が東勝寺で自刃をし、鎌倉幕府が滅亡した日。 「徳崇大権現」とは、後醍醐天皇によって高時に贈られた名。
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