庚申信仰は、人の体内には三尸(サンシ)九虫という人間にとって悪い虫がいて、暦の中で60日毎に巡ってくる庚申の日の夜にその人が眠りにつくと体内から抜け出して天に昇り、人間の寿命を司っている天帝にその人の日頃の罪過を告げ口するという。その罪過が一定の限度になると天帝は決定を下して、その人の命を絶ってしまうとされていた。
そこで貴族たちは、庚申の夜は一晩中起きていて詩歌を詠み、または管弦の遊びなどをして過ごしたといわれる。
庚申塔。
境内には、「寛文十二年」(1672年)の年号がある庚申塔(こうしんとう)などが13基あり、庚申塔の由来の立札も立っています。そのほか、大きな石をまつった石上稲荷大明神(いしがみいなりだいみょうじん)や祭りのとき唄われる「天王謡」の由来を書いた立札などがあります。
鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
右が摩利支天像(イノシシの背に乗る唯一の護法神)。
少し裏に登ると石碑があります。
摩利支天(まりしてん)
中世には武士の守り本尊の摩利支天、日本の歴史上の名だたる武将たちから守護神として熱烈に崇(あが)められた勝利の女神です。
摩利支天は、古代インドの仏教守護の天部の神で、日本には平安時代に中国・唐に留学した密教僧によっ
て伝わり、この女神を本尊として財徳、護身、穏身、遠行、得徳、討論勝利、必勝開運などの祈願がなされました。
とくに中世以降は、武士の間に信仰が広まり、戦場に臨む際に、あるいは武術の試合の前に摩利支天に加護を願い必勝を念じました。