五所神社
鎌倉市材木座2丁目9-1 標高 11.8m
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 神さまが神輿に乗ったら、神社に神さまがいなくなってしまうのでは?
 それは心配無用。神さまは分身可能です。
 神社にも神輿にも、そして三社祭のように神輿が多いときにはそのすべてに、同じ神さまが同時に存在しているのです。
 そんな神輿の起源は、奈良時代の749年。
 八幡宮の総本社とされる宇佐(うさ)神宮の八幡神が「都に上り、東大寺の建立を援助する」と決意し、奈良に出向きました。このとき、紫色の「輦輿(れんよ)」という輿に乗ったのがはじまりです。
 町内に神さまのエネルギーをいきわたらせることが渡御(とぎょ)(神輿がねり歩くこと)の目的です。
 その渡御のさいに、神輿を激しく揺することを「霊振(たまぶ)り」といいます。
 霊振りをすると、神さまのエネルギーがアップするといわれています。かけ声の「ワッショイ」は「和」を「背負う」がなまったものです。
 三光尊石上稲荷。
五所神社板碑

 材木座五所神社境内、本殿向って左側の覆屋の中にある。粘板岩製。下総系板碑で碑面上部に蓮華形天蓋を描き瓔珞を下げ、その下に倶利伽羅竜の如く、剣に巻きついた不動明王の種子(カーン)を刻す。弘長二年(1262)十一月二十日の銘がある。重要美術品。光明寺墓地にある板碑と対碑といわれている。

鎌倉 趣味の史跡めぐり
(長峰 五幸 編集)
 材木座海岸の豆腐川の河口にあったという石が祀られています。
 舟や海水浴客、漁師に悪さをしたり、いたずらをしたため、陸に引き上げられた。




 神輿庫の右手の小さな建物には「弘長二年」(1262年)の年号が刻まれた板碑が完全な姿で残され、鎌倉時代の貴重なものです。この板碑は、実相寺(じっそうじ)の南に建っていて廃寺(はいじ)になった観応寺(かんのうじ)にあったものだといわれます。

 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より


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