亀谷山 寿福寺(寿福金剛禅寺)(臨済宗)
鎌倉市扇ガ谷一丁目  標高:14.1m~29.7m
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 山門前から脇の小道を上がると墓地に出ます。まっすぐ上がると明治時代の外務大臣陸奥宗光(むつむねみつ)の墓に出ますが、その道はがけくずれの危険があるので閉ざされています。左に回り道をして墓地に入ると、俳人の高浜虚子(たかはまきょし)、作家の矢伝郎などの墓があります。また、山側にはやぐら群がありますが、その中に源実朝とその母政子の墓といわれるやぐらもあります。両方とも中にあるのは供養のための五輪塔(ごりんとう)です。実朝のほうのやぐらは「から草やぐら」とか「絵かきやぐら」といわれています。それは内部をから
のではありません。」と、いったそうです。
 また、3代将軍実朝が暗殺された後、尼(あま)将軍として、幕府の危機を救い、武家政治をゆるぎないものにしました。1225年(嘉禄元年) 69歳でなくなり、雪ノ下大御堂(おおみどう)の勝長寿院(しょうちゅうじゅいん)というところで火葬にされ、そこに墓があったといわれています。
 実朝は頼家のあとを継いで3代目の将軍となったものの、政権はほとんど政子や北条氏が政治の実権を握っていたため、政治や軍事の面より和歌や丸い鞠(まり)を長く蹴り合う蹴鞠(けまり)に熱
 仏殿には、籠釈迦と呼ばれる像高2m82cmという巨大な本尊・宝冠如来像や、鎌倉幕府三代目将軍・源実朝像などが祀られているというが、普段は拝観できない。
草などの絵で彩色してあるからだといわれています。北条政子は北条時政(ときまさ)の娘で、源頼朝が平家に捕えられ、伊豆に流されていたときそのの妻になりました。頼朝のころ鎌倉幕府のカが強くなったのは、政子のカによるところが大きかったといわれています。
 政子にっいて次の話が残っています。
 富士の巻狩(まきがり)で、子どもの頼家が鹿を討ったので、頼朝は非常に喜び、鎌倉の政子に使いを出しました。ところが
 「武将の子が原野で鹿や鳥をとることは決して珍しいことではありません。そんなことで使いをよこすも








 鐘楼。

 もとの鐘は、豊臣秀吉の小田原攻めのさいに、小田原北条氏によって取り上げられ、鉄砲の弾に使われてしまったとか。
 源実朝の墓

 頼朝の死後、凄まじい権力争いが起きていた。頼朝を助け協力したことで幕府の重臣まで昇り詰めた梶原景時、頼朝の乳母で、伊豆流刑時代の頼朝を支えた比企尼の係累・比企能員、兄・頼家の長子の一幡、有力御家人の畠山、和田一族などなど。母・北条政子と外戚の北条氏はそれら有力御家人を次々と粛清していった。血を血で洗う戦いの中で、実朝は多感な少年期を過ごすことになる。北条氏の権力維持のため、お飾りの将軍職を受け継いだ実朝の心境はどうだっただろうか。
心で、宋(そう)(今の中国)に渡ろうと計画したこともありました。朝廷から高い位を次々に得て、ついには右大臣となりましたが、その祝賀の式に鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)で27歳という若さで殺されました。るがおかはちまんぐう)で27歳という若さで殺されました。実朝の『金塊和歌集(きんかいわ
かしゅう)』には約700首の和歌がおさめられており、武士というより歌人としての評価が高い人です。いうより歌人としての評価が高い人です。

 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より


山側にはやぐら群がありますが、その中に源実朝とその母政子の墓といわれるやぐらもあります。両方とも中にあるのは供養のための五輪塔(ごりんとう)です。実朝のほうのやぐらは「から草やぐら」とか「絵かきやぐら」といわれています。それは内部をから草などの絵で彩色してあるからだといわれています。
伝えられているのは 壽福寺のやぐら内にある五輪塔と、政子の法名から寺名を採った安養院に宝篋印塔が残っています。しかし、後に建てられた供養塔のようです。
 北条政子というのも後世(近世以降)になってそう呼ぶようになったようです。
 金剛山勝長寿院大御堂浄楽寺(横須賀市芦名)に残る伝北条政子奉納銅鏡(承久2年(1220年)銘)には「平政子敬白」と刻まれており、建保6年(1218年)以降嘉禄元年(1225年)吾妻鑑に記載されている「平政子」を名乗っていたと考えらます。
 源実朝の墓

 鎌倉は平地が少ないので、平地にお墓を作ることは禁止されていたようです。
 北条政子の墓
 「平政子」の名は建保6年(1218年)に朝廷から従三位に叙された際に、父・時政の名から一字取って命名したもので、それ以前は何という名であったかは不明であるとされています。
 政子の死後、遺体は源氏の菩提寺であった勝長寿院に埋葬されました。しかし、政子の墓として






 北条政子の墓
     湧き水がありました。
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