扇谷山 海蔵寺(臨済宗建長寺派)
鎌倉市扇ガ谷四丁目  標高:29.2m
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 薬師堂内の左手の祭壇には、高さ1.8m余りの大きな古い位牌(いはい)がニつ並んでいます。一つは1423年(応永30年)の春の彼岸供養の時に、寺に力をつくした多くの人々の霊をとむらうためにここに安置されたものといわれます。もう一つは1515年(永正12年)のもので、同じように供養したものと思われます。このような大きくて古い位牌は珍しく、鎌倉ではここにしか残っていません。

 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
 本堂の左に建つ薬師堂(仏堂)

 薬師如来は仏殿の本尊で別名・啼(なき)薬師または児護薬師ともいわれ、胎内には土中から発掘されたという古い仏面を収めている。
 中央に薬師如来像、両脇に日光菩薩と月光菩薩。
 薬師如来は、修行時代に「十二の大願(たいがん)」を立て、仏となって衆生(しゅじょう)を救うことを誓いました。その大願(たいがん)とは、病気を治し健康にする、美味しい食事を食べさせる、素晴らしい衣服を与えるなど、民衆が現実に叶えてほしいと願っていることが中心です。
 薬師如来の脇侍の日光菩薩・月光菩薩

 太陽と月をシンボルにした日光菩薩・月光菩薩は、生死や苦など人の闇を太陽の光で滅ぼし、煩悩に迷う心を月の光で消す霊験があるとされます。
 扇ケ谷にあり、臨済宗建長寺派。応永元年(1394)上杉氏定(1374-1416)が氏満の命をうけて創建したと伝え、開山は大覚禅師五世の孫という心昭空外とするが、事績は不明。山号は扇谷山。寺は五山・十刹・諸山のどれにも列せず、はやくから建長寺の塔頭のようになっていた。『鎌倉志』に「天正ノ比
ヨリ建長寺ノ塔頭二属ス」とある。詳しい寺史は編めないが、室町期の応永・永享のころ、扇谷上杉氏の外護のもとに栄えた様子が『関東合戦記』『永享記』などによって知れる。塔頭は開山塔の仏超庵をはじめ、寂外・棲雲・昭用・崇徳各庵など十数庵を数えている。寛政三年(1791)の『海蔵寺境内図』では
仏殿・客殿・庫裡・長屋・門などをあげ、塔頭は瑞東庵だけ記している。








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