本堂は龍護殿(りゅうごでん)とも呼ばれ、関東大震災で倒壊した後、1925年(大正14年)に再建されました。
本堂には、中央に開山である心昭空外坐像その前にタイから伝わったといわれる銅造釈迦如来(しゃかにょらい)像、右の方に厨子(ずし)に入った十一面観音菩薩(かんのんぼさつ)立像(りゅうぞう)などがまつられ、堂内の襖(ふすま)には竜や牡丹(ぼたん)とか唐獅子(からじし)などが描かれています
鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より。
本尊の薬師如来は啼(なき)薬師とか児護(ちご)薬師とも呼ばれ、お腹の中に土中から発掘された木造の古い仏の顔を納めています。この薬師如来には、次のような話が伝えられています。
昔、寺のうしろの山すそから、何とも悲しげな赤子の泣き声が毎夜のように聞こえてきました。
本堂
本堂内部
開山の空外(くうがい)が、声のするところを探してみると、泣き声は古ぼけた墓石の下から聞こえてきます。そしてその墓石からは金色の光がもれて輝き、あたりにはよい香りがただよってい
ました。そこで空外は、お経(きょう)をあげたあと、袈裟(けさ)をぬいで墓にかぶせました。
すると不思議なことに、赤子の泣き声はピタリとやみました。翌日その墓の下を掘ってみると、18cmほどの立派な薬師如来のお顔が出てきました。 このあと空外は新しく薬師如来を造り、堀り出したお顔をお腹の中に納めてまつることにしたのです。
それが、この薬師如来だといわれ、胸の部分に
扉があり、中には薬 師如来のお顔が納められています。
今でも、子どもの幸せを守ってくれる仏さまだということで厚く信仰されています。
鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
本堂の左側の奥の崖には、やぐらが四つあります。手前から三つ目と四つ目は大きなやぐらで、三つ目のやぐらは雨宝殿(うほうでん)と呼ばれています。やぐら内に立つ朱塗りの鳥居をくぐると、奥の一段高くなったところに高さ50~60cmの石像があり、翁に蛇がとぐろを巻いているように
彫られた宇賀神(うがじん)で、弁財天(べんざいてん)が神仏一体となった宇賀福弁財天(うがふくべんざいてん)のご神体です。もとはここに字賀福弁財天をまつっていましたが、現在その弁財天は本堂に安置されています。やぐらの前を奥に行くと庭園が見え、「心字池(しんじいけ)」を中心にしています。