海龍寺(真言宗)
尾道市東久保町22-8  標高:22.8m
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 この墓地の奥の岩場には、鎖場があり、一番鎖から三番鎖まであり、浄土寺山に登っていきます。
 2019年2月19日早朝に放火で焼失しました。 
 仏像を盗んだ後、放火したとのことです。
 於福地蔵尊(火事の前)

 主な交通手段が海路であった時代、ご本尊千手観世音菩薩と共に海を行く人々や荷物の安全を祈った。
 2019年2月19日午前2時10分頃、この寺で火事があり、地蔵堂など2棟が焼けました。
けが人はいませんでした。
 「寺の地蔵堂が燃えている」と住職から119番通報があり、消防車5台が出動し、火はおよそ40分後に消し止められましたが、この火事で寺の地蔵堂と
倉庫合わせて35平方メートルが全焼しました。
 本堂への延焼はなく、けが人はいませんでした。
(海龍寺の住職)
「きのう、火が消えているのを確認して帰ったんだが」と。
 警察は今回の火事も不審火とみて、これまでの火事との関連を調べています。
(新聞記事より)



 2019年3月8日、地蔵堂が全焼した寺から仏像を盗んだ疑いです。飲食店経営・林基史容疑者(43)は、先月18日の夕方から翌日未明にかけて海龍寺に侵入し、総額106万円の仏像3点を盗んだ疑いで今月7日朝に送検されました。
(新聞記事より)
 初代の歿後に、その代りに招かれるようになったのが、初代竹本弥太夫ではなかったかと思われる。文化、文政期は、尾道が商港としてもっとも隆盛を極めた時期であった。(中略)海龍寺の墓は、初代晩年の行実を察すべきものであるとともに、江戸時代こおける中央文化と地方文化との関係を考えるべき資料である」。
 於福地蔵尊(火事の前の内部)
 「文楽軒」と「初代竹本弥太夫」の供養塔 があります。両墓碑はもと浄土寺と海龍寺との間にあつた無緑墓地におかれていたものを、道路整理にさいし取払われ、さいきん現位置にすえられたもので、昭和四十二年広島女子大教授角田一郎文学博士の手でその墓の意義など明らかにされ、同氏らの演劇研究会の会報第四号に発表された研究余録の末尾部分を詔介すると-「中国筋の歴遊は、旅興行の一座を組んでのことと見るのが妥当であろうが、尾道市にある墓碑と考えあわせると、招かれて三味線弾きを帯同して稽古に出かけたのであろう。





 江戸時代の人形浄瑠璃家「文楽軒」と「初代竹本弥太夫」の供養塔 。(大阪以外にあるのは大変めずらしい。)
 手・指を使う文楽にちなみ、「お経の塚」に触れることで技芸が上達すると言われています。
 「文楽」人形浄瑠璃の竹本弥太夫の墓 作者に近松門左衛門、太夫に竹本義太夫などが出、演劇の一様式として確立。現在「文楽」として伝承されているものはその流れ。
 文楽(人形浄瑠璃)は、あやつり人形芝居で、人形が演技をします。その人形は、人間に近い細かい動きをするために3人で行うようになり、3人遣(づか)いといいます。ただし通行人などの軽い役は1人で動かしています。
 3人遣いは、主(おも)遣い、左遣い、
足遣いの3人で、主遣いは、人形の首(頭部)と右手を担当し、首を左手で、右手を右手で操作し、左遣いの担当は、人形の左手を自分の右手であやつり、足遣いは人形の両足を両手で操作します。また人形が歩いたり走ったりするときのトンやドンなどの足拍子を踏むのも足遣いの役目です。
左遣いと足遣いは通常は黒衣(くろご)で顔を隠しています。顔を出しているのは主遣いだけです。

「足遣い10年、左遣い10年」といわれており、まず足遣いから始め、次に左遣いへ進み、主遣いになるまでには相当の年月が必要です。





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